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ブラジル文学に登場する日系人像を探る 5—オ・アンドラーデの『基点』—伯学校の奇妙な授業風景=中田みちよ=第2回

ニッケイ新聞 2013年1月17日付け

作品の表紙

作品の表紙

 この作品は、一口にいうなら1930年の革命を機に、労働者階級がよりよい生活を求めて闘う情熱を書いたもの。作品は労働者階級の話し言葉をそのまま移し変えていますから俗語の羅列。日本人と関係のある場面だけを抽出してみました。
 大樹が涙のように露をこぼす街道で、エレスボンは日本人に土地を売った土人のベラルミノに会った。黒っぽい服に裸足である。大きな歯を前に突き出し、杖を手にしている。
 「ちっぽけな家でいいんスが、建てたくて、土地を探しているス」「アンタはどこの人かね」「レジストロ、ス」「あっちにはニホンジンが多いんかね」「あそこにはわしらの土地はもうないんスヨ」「仕事はあったのかい」「あったス。カフェの木、200本の草取りだス。けんど・・・」
 南聖地区は、日本人が初期に入植した場所なので、その下で働くブラジル人も結構いました。実はレジストロは私たち家族も、ブラジル人日雇い労働者と一緒に茶摘みをしたところなんです。戦後ですがね。作品の年代は30年代ですから、状況的には戦後まもなくとあまり変わっていないですねえ。
 カボクロ言葉を一番先に覚えるわけですが、今ここで、作品中のカボクロ言葉を表現するのは難しい。日本語でこんな方言もないでしょうが、まあ、無知な土着人の感じが出ればいいかと。
 「アマレロ(黄色)に働いてんのか」「わスらは自分の土地が好きなんスヨ。よそに行って、あっちこちやったんスけんど、アカンかった…。慣れんのです。ここでカマラーダ(日雇い)をしとるほうがいい。まだ土地があればス」「何で土地をなくしたんだ」「頭が悪いんス。日本人ははらってくれんス」「どうしてだい」「飲むからだっていうんス」「お前はロシアがどこにあるか知ってるか」「いや、しらんス。カナネイアのほうじゃないスか」「ロシアでは働くもンに土地をくれるそうだ」。別の老人が興味を示す。「ソンじゃ、わしもつれてってくれ」「どこにあるかしらんの…ヨ」
 なぜ、オズワルドは唐突にロシアを出したんですかねえ。ここにロシアが登場する必然性は皆無。笑ってしまいました。もう、こうなると作者の意図が見え見えで…彼が熱心に推進したプロレタリアート運動…が。話は第2章の小学校にとびます。
 『その昔、地元の小学校がダンスパーテイーの会場に使われていたころ、サンパウロ南西の海岸線に日本移民たちがやってきてキスト的な植民地を形成した。学校はながい平たい建物に窓がついているような感じだった。当時、開放黒人の引く馬車で大手をふって道を通るのはセルタネージョ文化だった』
 調べてみるとセルタネージョという音楽ジャンルはサンパウロ奥地が発祥地なんですね。農園の娯楽として発達した。日本風にいうなら各地方の民謡みたいなもんですかねえ。
 『校長は小学校の教師というのは人種部隊の先兵だから、愛国精神にのっとって出欠をとならなければならないといった。生徒はそれぞれの出自を言わなければならない。
 白人のエウフラジア先生は「キオト・ナッスラ!」「バージル人でーす」「サクエト・サクラギ!」「バージル人」「ジョズエ・デ・サントス!」「ピラシカバです」「ジョゼファ・アンツネス!」「はい、ブラジル人です」「マサウ・ムラオカ…」。坊主頭の小さい子は先生を遠くから細い目でじっと見た。「マサウ、アンタもブラジル人なのよ、分かる? サンパウロで生まれたのよ。いっしょに言いましょうよ。エウフラジア先生が喜ぶから…」男の子は涙をこぼし、教室はどよめいた。
 出席をとりながら国籍を聞くなど、噴飯ものですよね。作為が目立つなあと思いながら、私は、すでに遠い日になった、40年以上も前のわが家の子どもたちの幼い日を想起しました。出生届けなど、ただの紙切れに過ぎないと信じて疑わなかった日々。連れ合いはお前らは日本人だと断言し(両親とも日本人だから、血は純血そのもの)、子どもたちもそう信じていた。これが近々80年代のハナシです。現代ではこんな差別的な出欠は取られないでしょうが…。(つづく)

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