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ブラジル文学に登場する日系人像を探る 5—オ・アンドラーデの『基点』—伯学校の奇妙な授業風景=中田みちよ=第4回

ニッケイ新聞 2013年1月19日付け

 この辺はオズワルド自身が投影しているような気がします。イダリシオに土着のブラジル人としてのオズワルドの悲しみが重なっている。時々、「読む」というのは独善だナアと苦笑いします。正解など存在しない。笑わないでください。
 エウフラジア先生は遅刻して学校に着いた。「やかましいわねえ、みんな」教室は叫び声が充満し、混乱していた。先生のいない教室で子どもたちは勝手に騒いでいる。勝手気ままに席を離れ、机をたたいては叫んでいる。
 先生がドアを閉めた。「さあ、すわって」。机をものさしでバンと大きくたたいた。男子も女子も慌てふためいて自分の席を探した。そして何が始まるんだろう、と静かになった。ハエが傷だらけの女の子の上を飛んでいる。「さ、国歌斉唱…」曇りのない声があがり、ためらいがちに次第に力強くリフレインをくりかえしながら声をそろえて、国歌を歌う。
 祖国の自由のために、ブラジルのために死のう。ニホンジンも、コクジンも、カボクロも、興奮したように声をはり上げた。国歌は威厳をもって終了し、どの教室の窓も静かになった。「それより、みんなは、サーカスのどこがよかった? ジョズエ・デ・サントス、言って…みんな、ユウレイを見たわよね」太った黒人の子どもが、髪の黄色い子どもの机に頭をかくすカボクロをうかがいみた。
 「ユウレイはいないのよ、人が作るのよ」アデリノがつぶやいた。「ヤマにはいる」。エウフラジア先生ははニホン人の子どもたちを見てからいった。「みんなもそう思う?」。ゼンケンは叫んだ「おバカ(ケ)だ!」「アンタは? クラス一番のハルはどう?ユウレイはいると思う?」「日本語ではオバカだ」「ニホンガッコではいないと教えないの?」。
 人形のように小さい子は凍りついたような笑みを浮かべて「ハカバさいる…髪の長ーいオナゴ…」「いまは何でも信じるのはむりもないけどね…」。イダリシオはノートに書いた。…アオイウマ。
 オズワルドは日本学校の存在を知っていたんだワ。そういえばブラジル学校の先生は日本語学校にあまり好意を持っていなかった。短絡的に、子どもたちの発音が悪いのは、ニホンゴを習うからだと決めつけて、学校を辞めろ、と強要した先生もいたっけ。
 また、オズワルドは青い馬で何をいいたかったのだろう、としばらく考えました。この青い馬は、たぶん、ドイツの画家フランツ・マルクの青い馬のはず。オズワルドがヨーロッパにいた頃、旧弊な画壇に一石投じていたフランツ・マルク。青色は男性的なヒーローの象徴だといわれました。
 オズワルド自身も1947年に『青い馬』(O Cavalo Azul)という詩集を出版していますから、青い馬には思い入れが強い。それにしてもカボクロのイダリシオの口端に何の脈絡もなく『青い馬』を登場させるとは…。この人、やはり青臭い文学青年じゃないかなあ。
 「そういえばイダリシオはどこなの、また、休んだのかしら。静かにして、さあ、フィロメナ、バナナについて話して…」。興奮した子どもたちは、知っていることをありったけしゃべろうとした。
 髪を三つ網にしたそばかすだらけのチェックのワンピースを着たイタリアニニャが立ち上がると、「バナナはよい食べ物です」「そうですね。バナナはどこに行くの」「サントス!」。10人が一斉に叫んだ。
 「静かに、フェロメナが話してるでしょ」。学校が一番力を入れている教科は農業だった。農産物の生産はサンパウロ州農務局の地図に刷られて壁に張られている。そこには植え付けから刈り入れ、包装から運搬までが統計になって示されている。
 「さあ、ハル、バナナについていって」。日本人の子は椅子から立った。額の前髪がきれいに切りそろえられている。「バナナはよいタビモノです」。エウフラジア先生は大柄でしぶしぶ立ったゼンケンを見た。
 「君たち、日本人はLとRを混同するくせがあるわね。ほら、ノートを見てごらん、キオト」。気がつく前にクラスはすでに大きく笑っている。大柄な生徒は先生を黙ってにらむようにみて神経質に足をかいている。
 「ゼンケン。よみなさい」。読本を手に立ち上がった生徒は靴をはいていた。骨太で背も高い。平凡で残忍な日本人の顔をしている。「春にはコンウシが…」「「子牛が…」「コンウシが」クラスはいっせいに噴きだす。(つづく)



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