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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第39回

ニッケイ新聞 2013年3月23日

「父ちゃん、もう起きんね。珍しいお客さんがきとっとよ」
「ああ、うるさか。どげんした」
「お客さんがきとっと」
 声は筒抜けだった。
「昔はあんな親父ではなかったんですが、いろいろあって……」
 折原が口を濁した。児玉はそんなことよりも、母親が言った言葉に面食らっていた。
「勇作の父親は自殺したんですか」
「わしが子供の頃ことじゃけん、そげん詳しく知っているわけじゃなか。鴨居にロープを引っ掛けて死んどったそうじゃ」
 その先を聞こうとした時だった。真っ白な髪を逆立てたままの格好で父親が現われた。ワイシャツをパジャマ代わりに使っているのか、パジャマもシャツも区別がないのか、胸のボタンを二つだけ止めただけだった。ソファに座ろうとするが足元がおぼつかない様子だ。
 妻の手を借りてようやくソファに座ると、「水をくれ」とだけ言った。
「また朝から飲んどるとね」
 折原が叱責する口調で言った。父親はその言葉がまったく聞こえていないようで、児玉に向かって言った。
「あんたはだれかね」
 たまりかねて折原が答えた。
「勇作と大学が一緒で、今はパウリスタの記者さんの児玉さんたい。勇作からわしらのことを聞いて訪ねて来てくれなさったと」
 父親は勇作の名前を聞いて、一瞬だが真顔で児玉を見た。しかし、その顔はすぐに泥酔した酔っ払いの顔に戻った。
「何か用事があっとか」
 父親はぶっきらぼうな口調で聞き返した。
「勇作君が皆さんと会う機会があったら、よろしく伝えてくれと言ってました」
「勇作は元気にしとっとか」
「はい。来春から出版社で働くことになると思います」
「そうか……」
 後は聞き取れない言葉を呟きながら部屋に戻ってしまった。母親がその場を取り繕う。「悪か思わんで下さい。日本でも、ブラジルに来てからも、いろいろあったとたい。それで父ちゃんな人が変わってしもうたとです」
 児玉には返す言葉がなかった。重苦しい沈黙が続いた。それ耐え切れず折原がビールを進めた。
「冷たいうちにやって下さい」
 折原もビールを一気に飲みほした。
「さきほどの話ですが」
「自殺の件ですか」
「差し支えなかったら聞かせて下さい」
「うちの親父も勇作の父親も筑豊炭鉱で鉱夫をしていたとです。わしらは勇作と炭住でほとんど兄弟のごつして育ったとです」
「炭住の話は私も彼からよく聞かされていました」
「その頃は子供で何が起きたかわからなかった。今から話すことはブラジルに来てから親父から聞いた話だと思って下さい」
「わかりました」
「勇作の親父は優秀な人間で、会社に引き抜かれ炭鉱夫から事務職に就き、管理職に出世しとったとです。景気がよか時代はなんば問題もなかったとです。それが不景気になり組合と会社側との間で争議が起きると、それまでのようにはいかんごつなったとです」
二人の話を黙って聞いていた母親が、会話に割って入った。
「勇作の親父は組合と会社の板挟みになったとよ。それが原因で首を吊った」
 母親は足をだらしなく投げ出してソファに腰を下ろした。
「確か勇作が第一発見者じゃなかったとか」
 折原が思い出したように言った。


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