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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第72回

ニッケイ新聞 2013年5月11日

 日系人が多く加盟している農業組合はコチア産業組合で、コチアには日系人に限らず一般のブラジル人も会員になり、ブラジル最大の農業組合に成長した。もう一つは南伯農業組合で、この組合はサンパウロ州、パラナ州の日系人会員が多かった。
 南伯農業組合は児玉が住むトレメ・トレメの目と鼻の先にある。トレメ・トレメの前には異臭を放ちながら、ほとんど澱んでいるといった方が適切なタマンドゥアテイ川が流れている。その向こうにあるのが市営メルカードだ。かつてこのメルカードがサンパウロ市民に食料を供給していた関係で、この付近には農業組合、問屋、穀物倉庫が多い。
 児玉は時折、出社する前に南伯農組を訪ねることにしていた。組合の周辺ではトラックから下ろした大豆、小麦、コーヒーなどの袋を担いで問屋や倉庫に運ぶカヘガドール(人夫)が荷物を頭に載せて運んでいる。彼らの邪魔にならないように組合に向かう。
 小麦やコーヒーの香りが漂う南伯組合の二階に広報課がある。広報課には流暢に日本語を話す二世の川添がいた。ブラジルの農業についてなにも知らない児玉にとっては、彼から得られる農業全般の情報は貴重なものだった。川添は時間が許す限り児玉に付き合ってくれた。川添が説明してくれるセラード開発に関する情報は、日本語に翻訳された資料もなく、原稿を書くうえでも特に助かっていた。この日の朝も特に用事はなかったが、広報課を訪ねた。
 川添は二世の女性職員にカフェを運んでくるように頼んだ。ブラジルでは何をするにしてもこの一杯のコーヒーを飲むことから始まるのだ。その日は川添からブラジル政府が環境問題をどのように考えているのか、それを聞くつもりで南伯農組を訪ねたのだ。
「ブラジルの農業は北進すると言われているんです」川添は待っていましたとばかりに講義を始めた。
「北進ですか」
「そうです。北進です」
 ブラジルの南部は肥沃な穀倉地帯になっている。アルゼンチン国境に近いサンタカタリーナ、リオ・グランデ・ド・スル、パラナの各州はイタリア人、ドイツ人、そして日本人の移民が多い地域で、もともと肥沃な土地だった。この一帯の開発はすでに終了し、長年の生産によって今では化学肥料を投入しなければならないようになっている。
 ブラジル北部には未開発のアマゾンがある。しかし、この地域の開発にはアメリカをはじめとする先進国の批判が根強くある。トランス・アマゾニカという横断道路の建設に着手しただけで批判が噴出した。
「そこでブラジルが考えたのがセラード地帯の開発だったんです。従来の肥沃な穀倉地帯とアマゾンの間に横たわる潅木しか生えない広大な地域のことです」
 サンパウロ州以南の農業地帯は土地が次第にやせてきており、そのためにセラード地帯と呼ばれる地域の農業開発が急務なのだ。セラード地帯の面積は一億八千二百万ヘクタール、ブラジル全土の二〇パーセントから二五パーセントがこのセラードだともいわれている。
 セラード地帯は標高千メートル前後で、地形は平らで機械化に適している。直射日光が強く有機質が破壊される。そのために大量の石灰と有機質を投入し、土壌を改良し地力の回復をはかれば、世界有数の穀倉地帯となることは間違いないが、地力回復のためにかかる費用は莫大である。ブラジル側は開発の技術協力を取り付け、同時に開発資金も日本側から引き出してこの計画を推進していた。
「セラード計画が成功すれば、不毛の潅木地帯は、大豆、小麦の大生産地に変わり、ブラジル経済に大きく貢献してくれることでしょう」


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