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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第52回

ニッケイ新聞 2013年4月12日

 こうなったら話し疲れるまで仁貞は止まらなかった。母親のこの性分には慣れているはずの幸代も辟易した。総連の係を口汚く罵る母は、幸代にはしつこいというよりもくどいとしか感じられなかった。  仁貞の怒りが治まった頃、幸代が聞いた。 「アボジ(お父さん)たちの居所はどうすれば調べてもらえるのかしら」 「祖国に帰れば会えるの一言でおしまいさ。何が祖国さ、日本人に国を乗っ取られ、独立したというのに私たちは相変わらず日本で貧乏のしっぱなし。祖国に帰れば楽園が待っているというが、この日本を、今度は朝鮮人の天下にしてほしいものだね。だいたい亭主の居所さえわからない楽園なんて道理が通らない」 「母さん、これからどうするつもり」 「どうするもこうするも、私にはわからないよ。おまえはどう思う」 「帰国してまだ四ヶ月しか経っていないことだし、もう少し待ってみよう。向こうには兄さんも姉さんもついているわけだし、だいじょうぶ心配ないよ。二人で頑張って生活し、もうしばらく連絡を待ってみようよ」 「総連のいうことをきいて手続きをしたほうがいいのかね」  仁貞は柄にもなく弱気な表情を見せた。  幸代自身、一日も早く共和国に渡り家族と再会したいという思いはあった。現実は麦飯が入った御飯に醤油をかけて食べる生活を送っている。共和国に帰れば貧困から解放されるかもしれない。  しかし、その一方で、新潟のあの収容所に入るのには強い抵抗があった。脳裏には収容所の寒々しい光景が焼き付いたままだ。鉄条網に取り囲まれた収容所にたとえ数日でも入ることには生理的な嫌悪感があった。  幸代が中学に進み、五月の連休が過ぎても北からの手紙は届かなかった。仁貞は帰国した友人の家を訪ね歩き、手紙が届いているか、寿吉らの消息を知らないか聞いて回った。消息どころかすべての家に手紙は届いてはいなかった。  金一家と同様に家族が北朝鮮と日本とに分かれた家も珍しくもなかった。こうした家族の対応もまた二つ分かれた。仁貞のように連絡を待とうとする者もいれば、共和国への帰国手続きに着手する者もいた。  父からの手紙は夏になっても、秋まで待っても届くことはなかった。この頃になると妙な噂が小声で囁かれるようになった。北に帰った同胞は思想教育のために強制収容所で過酷な労働を強いられているというものだった。仁貞も幸代もだれからともなくこの噂を耳にした。総連は韓国を支持する居留民団が流しているデマと反論した。し こうなったら話し疲れるまで仁貞は止まらなかった。母親のこの性分には慣れているはずの幸代も辟易した。総連の係を口汚く罵る母は、幸代にはしつこいというよりもくどいとしか感じられなかった。
 仁貞の怒りが治まった頃、幸代が聞いた。
「アボジ(お父さん)たちの居所はどうすれば調べてもらえるのかしら」
「祖国に帰れば会えるの一言でおしまいさ。何が祖国さ、日本人に国を乗っ取られ、独立したというのに私たちは相変わらず日本で貧乏のしっぱなし。祖国に帰れば楽園が待っているというが、この日本を、今度は朝鮮人の天下にしてほしいものだね。だいたい亭主の居所さえわからない楽園なんて道理が通らない」
「母さん、これからどうするつもり」
「どうするもこうするも、私にはわからないよ。おまえはどう思う」
「帰国してまだ四ヶ月しか経っていないことだし、もう少し待ってみよう。向こうには兄さんも姉さんもついているわけだし、だいじょうぶ心配ないよ。二人で頑張って生活し、もうしばらく連絡を待ってみようよ」
「総連のいうことをきいて手続きをしたほうがいいのかね」
 仁貞は柄にもなく弱気な表情を見せた。
 幸代自身、一日も早く共和国に渡り家族と再会したいという思いはあった。現実は麦飯が入った御飯に醤油をかけて食べる生活を送っている。共和国に帰れば貧困から解放されるかもしれない。
 しかし、その一方で、新潟のあの収容所に入るのには強い抵抗があった。脳裏には収容所の寒々しい光景が焼き付いたままだ。鉄条網に取り囲まれた収容所にたとえ数日でも入ることには生理的な嫌悪感があった。
 幸代が中学に進み、五月の連休が過ぎても北からの手紙は届かなかった。仁貞は帰国した友人の家を訪ね歩き、手紙が届いているか、寿吉らの消息を知らないか聞いて回った。消息どころかすべての家に手紙は届いてはいなかった。
 金一家と同様に家族が北朝鮮と日本とに分かれた家も珍しくもなかった。こうした家族の対応もまた二つ分かれた。仁貞のように連絡を待とうとする者もいれば、共和国への帰国手続きに着手する者もいた。
 父からの手紙は夏になっても、秋まで待っても届くことはなかった。この頃になると妙な噂が小声で囁かれるようになった。北に帰った同胞は思想教育のために強制収容所で過酷な労働を強いられているというものだった。仁貞も幸代もだれからともなくこの噂を耳にした。総連は韓国を支持する居留民団が流しているデマと反論した。しかし、それならば、何故、手紙が一通も届かないのだろうと二人は不思議に思った。
 手紙が一通も届かないのはやはりだれが考えても異常なことだった。それなのに帰国だけを宣伝し続ける総連のやり口に仁貞は不信感をつのらせた。
「いったいこれからどうなるのかね」
 仁貞は口癖のように毎日だれに話しかけるとはなしにこうつぶやいた。しかし、手紙がこない以上、ひたすら待つしか術はなかった。
「母さん、焦っても仕方ないよ。父さんたちも私たちが心配しているのはわかっているはずよ。待ってみましょう」
 こうして一年が経ちも二年過ぎても結局、幸代が中学を卒業する年になっても、手紙は届かなかった。幸代は高校進学を希望し、受験だけでもさせてほしいと仁貞に訴えた。
「母さん、県立高校一校だけ受験させてね」
「受験って、おまえ、高校に行くきかい」
「だってこのまま何もしないで共和国からの連絡を待っているわけにはいかないでしょう」
 仁貞は進学にかかる費用を心配していたのだ。蓄えなどと呼べるものは何もなかった。家にある金目のものはすべて売り払って現金に換え、寿吉たちが帰国するときにすべて持たせた。


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