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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第147回  

 

ニッケイ新聞 2013年8月28日

 

「エー・ジャポネース(この日本人野郎が)」
 取りつく島もなかった。
 日系人とはいえマリーナは日本人とはまったく異なる文化の中で生きていることを児玉は思い知らされた。
 マリーナは以前に「黒人とのミスチッサであろう白人とであろうが、ジャポネースの子供はジャポネース」と言っていた。しかし、それは日本に住むジャポネース日本人はまったく異なるジャポネース日系人だった。
「ここは日本ではなくて、ブラジルなの。ブラジルのやり方を通して下さい」
 マリーナには日本人になろうなどいう気持ちはまったくなかった。
 マリーナの抗議を聞きながら、ふと朴美子はどうしているのかと思った。やはり韓国人になろうと、日本でもがいているのだろうか。朴美子の生き方は多くの在日韓国人・朝鮮人が直面する問題だった。「北であれ南であれわが祖国」と書いた在日二世の作家がいた。
 しかし、戦前ならいざ知らず、今では日本人になろうなどと考える日系二世、三世はいそうにもない。
 戦前の二世の中には日本人になりきろうとして、ブラジル社会から切り離されたところで生活し、教育勅語を叩きこまれて成長した者も少なくない。彼らの多くが勝ち組、負け組の抗争に巻き込まれた。それも昔の話で、マリーナのような二世、三世が日系社会の主流を占めるようになっていた。
 在日韓国人・朝鮮人二世と、ブラジルの日系人二世、三世はまったく異なる生き方をしているように児玉には思えた。
 マリーナと付き合うようになり、児玉の心の中を占めていた朴美子への思いは次第にかすんでいった。テレーザの部屋に泊まり、トレメ・トレメで快楽にひたっていても、朴美子のことが頭から離れることはなかった。一瞬でも忘れようとして、泥沼に足を取られるような生活を送ってきた。
 朴美子の夢にうなされる夜もいつの間にかなくなっていた。つい一年前までアイデンティティとは何なのか、ナイフで切り合うような日々が続いていたことが夢のように思えた。マリーナの祖父が言っていたように、ブラジルはあらゆる魂を溶かしてしまう「溶魂炉」のようなものなのかもしれない。

 パウリスタ新聞の周辺には、一九六〇年代に日本人と同じように農業移民で入国してきた韓国人移民が多く暮らしていた。薬局や文房具店、韓国料理の店などが並び、韓国料理が懐かしくなるとよく食べに行った。またパウリスタ新聞から五分と離れていない一軒家に住む韓国人移民が、韓国日報のサンパウロ通信員としてブラジルのニュースを韓国に送信していた。中には日系人と手を組み、旅行社を経営する韓国人もいた。
 児玉は韓国人経営の文房具店では韓国語を用いてノートを買い、レストランでも韓国語でオーダーしていた。
 パウリスタ新聞編集部に韓国語が話せる日本人がいるという噂は韓国人社会にすぐに広まった。ブラジルで暮らす韓国人移民は一万五千人、しかし、そのうちの四千人は不法滞在者といわれていた。
 移民の親戚や知人がサンパウロに観光査証で入国し、そのまま居座ってしまったのだ。ブラジル当局は不法滞在者の扱いに慣れたもので、国内で凶悪犯罪を行わない限り、数年が経過した頃、永住権を与えた。
 児玉は韓国人移民と付き合うようになり、彼らの移住動機が次第にわかってきた。韓国人移民の多くは北朝鮮出身で、一九五〇年に起きた朝鮮戦争で韓国側に逃げてきた避難民だった。再び朝鮮戦争が起これば、真っ先に北朝鮮軍に殺されるという恐怖感が彼らにはある。安住の地に逃れたくてブラジルに移住してきたのだ。
 ガルボン・ブエノ街にある「韓国館」というレストランの経営者は元韓国軍の軍人だが、出身は北朝鮮だ。
「いくら韓国に忠誠を誓っても、功績を上げても少佐止まりで、それ以上昇進することはできなかった。嫌気がさしてブラジルに移住してきたのさ」(つづく)


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