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第3回=三重編=美濃加茂編=ソニー閉問題に揺れた街=ブラジル友の会は今

ニッケイ新聞 2013年4月13日

三重編

「近い将来、ブラジルに帰りたい」と話す林田マリナさん

 愛伝舎のヘルパー講座を受講する林田マリナさんは、女手一人で子供を育てるため、さまざまな仕事を経験した。化粧品アドバイザーの資格も取った。リーマンショックでは失業は免れ、工場の派遣契約満了後に講座に通い始めた。「人と話をするのが好きで、お年寄りは大事だと思う。だから福祉や介護の仕事をしたいと思った」。

 ヘルパーとして3年実務経験を積めば、国家資格である介護福祉士試験の受験資格も得られるため、「最後まであきらめずに講習を受けて、3年後にはできれば介護福祉士の資格も取りたい。ブラジルに帰っても技術を生かせる」と次のステップも考えている。
 娘は市内の伯人学校「Alegria de Saber」の幼稚部に入れるという。もちろん帰伯を見据えてのことだ。今から英会話教室にも通わせており、「すごく上手に(英語を)話すの」と親バカな一面もみせる。片親だからこそ、娘の教育には手を抜きたくないとの思いが言外から伝わってくるようだ。
 同じ境遇の友人との会話でも、話題に上るのは教育についてだ。
 「(日本で)ブラジル人の子供の進学率は低いと聞く。こっちの大学に行かせるのはお金がかかるし、自分一人で、これからどこまで頑張らないといけないのかって考えると辛くなる。だからブラジルで勉強してほしいし、できれば(義務教育が終わる)15歳くらいから、自活してもらえたらありがたい」。そんな具体的な娘の将来像を持っている。ただし、ブラジルで勉強し続けても優秀大学に合格することは難しいご時世に、大学だけ当地に戻っても簡単には合格しないだろう。
 それに加え、客観的に見て、市内で生活保護を受けて生活している母親がいるうちは「帰伯したい」と思っても簡単ではないはずだ。母親が伯国へ戻ることに同意するのか、それとも——。
 「今はまだ日本だが、近い将来にブラジルへ」。不確定要素が山積みのなか、子供に高等教育を受けさせたいからこそ出した、彼女なりの方向性なのだろう。


美濃加茂編=ソニー閉問題に揺れた街=ブラジル友の会は今

 「田中さんですか? どうもー、こんにちは」。1月31日の昼前、岐阜県のJR美濃太田駅で待っていた記者を、そんな流暢な日本語で出迎えてくれたのは、長身で物腰の柔らかな渡辺マルセーロさん(34、三世)=岐阜市在住=だ。
 渡辺さんはリオ出身。13歳で訪日し、美濃加茂市の高校を経て岐阜大学を卒業、行政書士の資格を取得して自分の事務所を持っている。在日子弟の中でも数少ない、日本の国立大学を卒業したエリートといえる。さらに日本人の妻がおり、2児の父親でもある。
 13歳で訪日して日本の学校に適応し、授業に追いつくのは容易ではなかったに違いない。にも関わらず、日本人でもなかなか難しい高学歴を手に入れ、さらに日本人女性と身を固めた。人生の早い段階から〃永住〃を決めた人物の典型と推測できる。
 そんな経験を活かして、職業教育や就職先の開拓などを通じて南米出身の若者を支援するNPO団体「Mixed Roots×ユース×ネット★こんぺいとう」(昨年5月設立)の代表、地域在住ブラジル人への支援団体「ブラジル友の会」(以下友の会)の理事も務める。
 友の会の事務局がある美濃加茂市は、昨年10月、大変なショックに襲われた。(つづく、田中詩穂記者)

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