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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第83回

ニッケイ新聞 2013年5月28日

「父も母も韓国人なの。私の中に流れているのはまぎれもなく韓国人の血なの」
 「韓国人の血」、「民族の血」という言葉を美子はしばしば口にした。その強い口調とは対照的に、美子はいつも自分の中にある不確かさに脅えていた。地図も持たずに不慣れな山に登るようなおぼつかなさを彼女は常に抱えていた。
 児玉が早稲田大学に入学する数年前、文学部正門前にある穴八幡神社で、在日朝鮮人の山村政明が焼身自殺をしていた。朝鮮名は梁政明だが、彼が九歳の時に両親は帰化していた。後に出版された遺稿集には凄絶な差別体験が記されていた。
「私たち在日がどれほどの差別を受け、屈辱にまみれてきたか、児玉君にはわからないでしょ」
 鼻先を指で弾くような口調で言い放った。
「わからんよ」と児玉は答えた。
 安月給の国鉄サラリーマンの家庭より、はるかに経済的には恵まれた生活を美子は送っていた。児玉が中学生の頃、垣間見た在日の貧しい暮らしとは雲泥の差だった。子どもの頃からピアノや琴、日本舞踊など稽古事にいそしんできた。両親は家庭の中から朝鮮的なものを排除してきた。日本人として育てることで自分らが受けてきた差別から子供たちを守れると、両親が判断したためだろう。
 その最たるものが帰化だった。一家は彼女が九歳の時に日本に帰化していた。しかし、山村政明が体験したような凄絶な差別も貧しい生活にも美子自身は無縁で生きてきた。
「在日がどれだけの差別を受けているかはよくわからんよ。でも、韓国で日本人がどれほど怨まれているかは知っている。いくら日帝三十六年の植民地支配とはいえ、何の理由もなく警察官に髪を掴まれ、路上に押し付けられたこともあるし、安い居酒屋で飲んでいる時に、日本人だとわかり割ったビール瓶で胸を刺されそうになったこともあったよ」
「日本人なのにそんなところへ行ってお酒を飲むから、韓国人の怒りを買うのは当然よ」
「そう、当然だよな。日本人は国を奪い、言葉も名前も文化もすべてを奪おうとしたんだからな」
 児玉は美子に一度は迎合してみせた。
「どうして酒を飲み行ったかわかるかい」
「そんなの知らないわよ」
 児玉の父親は国鉄で働き、特急料金も運賃も七割引になる割引証を持っていた。それを使い下関まで行き、そこから学割を使い関釜フェリーで釜山まで運賃は四千五百円だった。釜山からソウルまではバスを利用した。
 広島、長崎で被爆し、戦後韓国に戻り、日本で治療を受けることを切望しながら死んでいった被爆者を何人も見送った。
「おかげで明日死ぬ人間を見分けられるようになったよ」
 ソウル中心部を東西に走る退渓路に面したアストリアホテルがある。その地下にあるタバン茶房(喫茶店)はKCIAのたまり場になっていた。ホテルの裏にある一泊五百円の修徳旅館に、児玉はいつも宿泊していた。日本人妻や被爆者がしばしば訪ねてくることから、周辺住民から下駄の音が聞こえると評判になっていると、旅館の経営者が冗談交じりに話してくれた。
 頻繁にソウルを訪れる児玉はKCIAに目をつけられ、情報部員に呼び止められることもあった。
「日本人や被爆者の取材はかまわんが、逮捕されたタチカワやハヤカワのようになりたくなかったら、政治問題には首を突っ込まんことだ」
 タチカワはフリージャーナリストで、ハヤカワは韓国の大学で教鞭を取っていた教授だった。二人は韓国の民主化運動の活動家を支援したとして身柄を韓国当局に拘束されていた。KCIAからコーヒーをご馳走になりながら、流暢な日本語で警告を受けたこともあった。
 在韓被爆者の現状を広島の日赤病院に伝えてほしいと、組織されたばかりの被爆者の会役員に引きずりまわされ、困窮した被爆者に会っていた。旅館に戻ると、シラミがズボンにびっしりとこびり付いていた。


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