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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第88回

ニッケイ新聞 2013年6月5日

 ソウルには三人の子供が結婚し、孫が生まれていた。最初に彼女一人が帰国した。日本に足場を作り、その後に韓国内の家族を次々に呼び寄せた。
 韓国から帰国した直後、鶴川は東京都江戸川区にある引揚者のための常盤寮に入った。常盤寮は老朽化した木造長屋で、引揚者の多くは下関港に降り立ち、列車で東京までやってきて常盤寮に入所した。
 そこでしばらく生活し、ビルの掃除婦の仕事を見つけ、都営住宅に入った。鶴川の本籍地は山形県だが、孫の教育を考えて東京での生活を希望したのだ。東京都には夜間中学が設置され、貧困などの理由で義務教育の機会を奪われたてきた成人や、在日朝鮮、韓国人たちが通ってきていた。都営住宅が割り当てられると、最初に二男の家族を呼び寄せた。
 二男夫婦には二人の子供がいた。その一家を釜山からフェリーに乗せて下関に渡り、東京まで連れてきたのは児玉だった。その夫婦の長男は小松川二中に併設された日本語学級で学んでいた。その長男が警察へ連行されたらしい。鶴川は孫が韓国に強制送還されるのではないかと恐れていた。鶴川梅子もその家族も国籍はすべて韓国になっていた。
 北区にある鶴川のアパートを訪ねると、孫は警察の取り調べを受け、すでに帰宅していた。小松川二中の担任教師も来ていた。狭いアパートで五人が暮らし、足の踏み場もなかった。
「孫が学校で事件を起こしたんです」鶴川が申し訳なさそうに言った。
「いや、そんな大げさなものではなく、幸一君が昼間の生徒と喧嘩をして、少々傷を負わせただけです」
 担任教師の話では、登校する途中で昼間の生徒に絡まれて、街の中で喧嘩になり商店街の人が警察に通報したためパトカーが出動して全員の身柄が拘束されたようだ。喧嘩の原因は日本人生徒の差別発言だった。
 釜山から下関まで、雑魚寝の二等船室で幸一は児玉の隣に寝ていた。平仮名、カタカナを練習したノートを見せ、日本について日本語で懸命に質問してきた。
 児玉の顔を見ると、幸一が言った。
「ソウルに帰りたい。今度、ソウルに行く時は一緒に連れて行ってください」
 日本に帰国してから一年も経っていないというのに、流暢な日本語だった。
「どうしたんだ」
 幸一は何も答えなかった。顔にいくつもの青あざがあり、唇は切れて腫れあがっていた。
「昼間の生徒にからかわれたようです」
 担任教師が警察から事情を聞いていた。
「韓国に帰れと言われた」幸一が悔しそうに言った。「日本に住みたくない」
 児玉は返す言葉がなかった。
「韓国で、日本人がオカエシされるのは当たり前」
 幸一は今にも泣きだしそうな顔をした。ソウルの小中学校では、植民地時代に日本が何をしてきたかを教科書で教えていた。鶴川や両親の前で、韓国の学校で受けた虐めを口にしたことはなかった。
 釜山の港を離れると、幸一が呟くように言った。「もうチョッパリって言われることはない」
 鶴川も幸一に、日本に行けば苛められることもないし、もう少し豊かな生活ができると説明していた。
「日本人に差別されるくらいなら、韓国の方がまだましだ」
 鶴川や両親が懸命になだめ説得しても、幸一は頑として聞き入れようとはしなかった。韓国で受けてきた傷が深いだけに、幸一の日本への期待感は大きかった。それが裏切られたのだ。
 祖母を日本人に持っていたというだけで、戦前の日本人の罪過がこうした少年の身に押し付けられた。それでも日本人に差別されるよりは、韓国の方がまだましだというのだから、幸一が日本で負った傷は尋常ではない。


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