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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第112回

ニッケイ新聞 2013年7月9日

 それが終わると、次に整備するオートバイはどれなのか小宮に聞いてくるようになった。
「どこまで続くか見ものだな」
 竹沢所長は半信半疑だった。
 複雑な整備技術が求められるオートバイが持ち込まれ、それを小宮が整備する時などは、パウロは一番前にきて、何も見落とすまいと真剣そのものだった。ノートも手にし、手に着いたオイルを作業着で拭い、ボールペンを握りしめていた。
 小宮はいつもの通り昼食は自宅に戻った。
 パウロは同僚と一緒に叫子の作った弁当を食べた。
 それまでは残業があろうがなかろうが、パウロは退社時間の午後六時には帰宅していた。自宅が遠いためにそうするしかなかったのだろうが、小宮のアパートに同居するようになった日から、夜間中学の始まる直前まで残業をこなすようになった。
 残業のない日は、修理工場の隅で教科書を広げ、時間になると夜間中学に向かった。
 パウロが帰宅するのは午後十一時頃で、叫子は月曜日から金曜日まで夜十時半頃にパウロの夕飯を温めて、彼の部屋のテーブルに並べて置くのが日課になった。
 もともと手先が器用だったせいもあるのか、本人が真剣に技術を習得しようと本気になったためなのか、パウロの整備技術の向上には目を見張るものがあった。
 パウロが夜間中学から帰宅した後、どうしているのか部屋は隔絶しているのでわからないが、寝る直前まで中学の勉強をしているらしい。文字を覚えたばかりの小学生のような字がびっしりと書き込まれたノートを、夕飯を運ぶ叫子が見ている。
 土曜日はさすがに疲れるのか、朝食も摂らずに昼頃まで寝ている。昼食を摂ってから帰宅しなさいと叫子が勧めても、早く家族と会いたいのか目を覚ますとバス停に向かった。
「セニョーラ、古くなったり、余ったコミーダ(食べ物)があれば分けてほしいんだが……」
 冷蔵庫には食べ残した餃子やシュウマイ、小宮の好物の肉ジャガ、叫子の好物のひき肉を混ぜて作ったコロッケなどがあった。パウロはそれらがすべて日本料理だと思っているようで、弁当に入れたものは残さず食べていたし、家族にも日本料理を食べさせたいとしきりにいっていた。
 それをみやげにパウロは家族の元へ帰り、日曜日の夜か、月曜日の朝直接会社へ出勤した。
 小宮は叫子がパウロの存在を煩わしく感じるようであれば、困ると思っていたが、それはまったくの杞憂だった。
「物心つく頃から、たくさんの人間と暮らしてきたから、家族が一人二人増えたところで私は平気よ」
 叫子はパウロを弟のようにかわいがった。
「セニョーラの料理を家族みんなで食べたよ。おいしかったってママイ(母親)も言っていた」
 そんな言葉をかけられると叫子は心から喜んでいた。
「一度、パウロのお母さんや家族に合わせなさい」
 叫子は何度となくパウロに声をかけた。しかし、引き合わせたくないのか、パウロはいつも「そのうちに」と答えて、なかなか紹介しようとはしなかった。

 パウロが一緒に暮らすようになって三ヶ月が経過した土曜日。
 テーブルの上には、焼き上げたばかりの餃子、シュウマイ、コロッケ、パン、それに肉の塊が用意されていた。
 起きてきたパウロがそれを見て聞いた。
「どこかに出かけるのか?」
「そう、これからパウロの家に行く」
 パウロは自分の家に小宮や叫子が訪ねてくると思わなかったのか、「どこのパウロだ」と聞き返してきた。
「いつまでも紹介してくれないから、マリード(夫)にこれから連れて行ってもらうわ」
 パウロはよほど驚いたのか、目を白黒させながら叫子を引き止めようとした。(つづく)


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