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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第33回

ニッケイ新聞 2013年3月15日

 その数日後、応募用紙をもらいに小宮は国際協力事業団本部に行った。応募用紙は窓口ですぐにもらうことができたが、小宮はそこで移民募集のポスターを見たのだ。係りの者が差し出す応募用紙を受けとると聞いた。
「移民の応募用紙もいただけますか」
「移住関係はセクションが違うので、そちらの方へ回ってくれますか」
 小宮は上階に回った。移民の応募用紙はなかったが移住の手続きを記した募集要項が置いてあった。薄い小冊子でブラジル移住は技術移民、パラグアイへは農業移民のものがあった。小宮はその二つを受け取り、帰宅途中の電車の中で事業団からもらった書類を読んでみた。
 自動車整備士の資格を持つ小宮は、その気になればアジア、中南米、アフリカのどこにでも行くことはできたが、海外青年協力隊の任期は数年だった。帰国後は元の職場に復帰することも可能だと説明されていた。
 しかし、移民募集要項には移住者は永住査証を取得し、その国で長期に渡って暮らすことが望ましいと記されていた。家族で移住する者は国際協力事業団が全額、独身者には八〇パーセントの渡航費の援助が行われ、三年以内に帰国した場合に限って返還義務が課せられた。サンパウロの高層ビル群やリオ・デ・ジャネイロの海岸の風景写真の下には海外雄飛、新天地という言葉が踊っていた。
 小宮は青年協力隊よりも移住に心が動いた。整備士の資格に対する評価が日本とは比べものにならないほどブラジルでは高く、当然それは収入にも反映した。しかし、それよりも小宮を惹きつけたのは、ブラジルが人生を最初から始められる新天地のように思えたことだった。それからというもの小宮はブラジル関係の本を買っては読みあさった。移住に関する講演会にも足を運んだ。
 小宮は憑ものにでも取り付かれたように、心は移住に傾いていった。自分ではその衝動をもうどうすることもできなかった。移住を決意するとすぐに手続きを開始した。資格がものをいってサンパウロでの就職先はすぐに見つかった。永住査証を発行する前にブラジル側は健康診断書と無犯罪証明書を要求するが、小宮は健康にも問題がなく、犯罪歴もなく査証は問題なく発給された。
 小宮は移住手続きをだれにも知らせずに進めた。家族に言えば反対されることははっきりしていた。両親もまだ五十代で、サンパウロに着いてから家族に知らせても遅くはないと思った。佐織ともあの日以来、音信不通の状態だった。全ての手続きを終え、移住の日程が決定した時、小宮は佐織をいつもの喫茶店に呼び出した。
 三ヶ月ぶりの再会だった。九月に入っても残暑が厳しく喫茶店はクーラーをきかせていた。佐織は少し痩せたように小宮には見えた。顔色も青白かった。
「変わりないかい」
「ええ」佐織の声は沈んでいた。
「夏休みにはどこにも行かなかったのか」
「そんな気になれなくて……」
 佐織は夏になると友達を誘って海や山に遊びにいっていた。ここ数年は海外旅行に出ていた。海外旅行といってもハワイやグアム島だったがで、帰国すると小宮には必ずおみやげを買ってきた。ブランド物の財布やセカンドバッグだったが、小宮はブランド品にはまったく興味はなく、ましてや値段などは知らなかった。
 去年の夏はハワイ旅行だった。おみやげは財布だった。受け取ると小宮は「ありがとう」とだけ言って直ぐにポケットにしまい込んでしまった。
「もう少しうれしそうにしてくれない。高かったんだから」
 そう言われても小宮にはそれがどれほどの値段なのかも見当さえ付かなかった。
「小宮さん、それ五万円もするんだよ」
「えっ、そんなに高いのか。だってこれ、ビニールの財布だろう」思わず口走ってしまった。
「ビニールの財布って言うけれど、それイブサンローランなのよ」佐織が少し怒った口調で言った。


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