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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇前史編◇ (17)=ドイツ植民地に触発され=数年で南部州発展と確信

ニッケイ新聞 2013年7月17日

1880年時点のサンタカタリーナ州ブルメナウ植民地

1880年時点のサンタカタリーナ州ブルメナウ植民地(『170 anos de Imigracao dos Povos de Lingua Alema』22頁, B.Scheidemantel)

 青柳は『時事新報』の「伯刺西爾旅行」(1912年7〜8月)の中でパラナ州、サンタカタリーナ州、南大河州を見て回って、鉄道の整備が遅れて移動が不便で、まったく手の付けられていない土地が広大に残っており、あまりに人口が希薄であることに驚いている。公使館通訳に頼った水野龍と違って、青柳は北米留学生活の経験が豊富なため、英語会話で現地の多くの情報を直接に聞き出しているのが特徴だ。
 当時の南部諸州の実状を外国人の眼でルポルタージュしたものとして歴史的価値が高く、現在読んでも興味深い報告内容といえる。
 例えば青柳は連載第8回目で南大河州都ポルト・アレグレの様子を、こう報告をする。なお記事原文に句読点を補っている。
 人口10万で聖市の約4分の1だが、ドイツ人が中心になって工業、商業を発達させ、《独逸人は工業に於てのみならず商業に於ても要所を占有し、当地外国貿易の如きは二三の例外を除き全く彼等の手に由て行わる。市中の住民も独逸分子甚だ多く、独逸語は到る処に通用す。独逸語にて発行する日刊新聞三あり。これら独逸人種は伯国に生れ、国籍上に於ては伯国人たる者多しといえど、その気風は大に純粋伯国人と異り、飽く迄も勤勉質素、且つ万事に正確にして毫も本来の国民性を失わず、互に相倚り相助けて、自ら別社会を為せり。斯く独逸人種の優勢なるが為め、純伯国人も自然其感化を受くるにや。当地人の気風は一般に質朴にして自動車や伊達姿の人は市中、之を見ること甚だ稀なり。之をサンパウロ人の華美を好み、伊達を競い、仏国流のヂプロマシーを濫用し、口約束の不確かを以て当然とするに比すれば両市民の気風に非常の懸隔あるを見る》と観察している。
 青柳はドイツ、イタリア、フランスなどの国民性や気質などにも通じ、ブラジル人の中でも聖州人と南大河州人を比較するなど、当時、稀といえる鋭い国際的な観察眼を持っていた。
 南大河州都の工業をドイツ系二世が牛耳り、同地の港を経由して、鉄板などは英国製品よりもドイツのバンブルグ製品を直接輸入し、さらに松や杉などの木材などをドイツに輸出している様子も詳細に観察している。
 南大河州がドイツ移民に実質的に〃占領〃されているかのような現状に青柳は感心し、それを可能にしているのはドイツ式教育だと分析した。
 第9回では次のように書く。《独逸人の多数集る処には必す独逸学校ありて、独逸政府は直接間接に之を保護す。彼等は教育事業に関しては伯国政府に依頼せず、自ら学校を建て教師を聘し独立にて経営する風あり。而して彼等の私学校は一般に伯国公立学校よりも評判好く、独逸人ならざる者も其子弟を通学せしむる者少からず。是れ校内風規厳粛にして自ら規律あり節制あり。学芸以外少年少女の良習慣を養成するの利あればなり。一日、当市中に在る独逸協会設立の学校を参観す。校長以下十六人の教員は尽く独逸人にして校舎二ケ処に分れ、学生男女合計四百余人あり。課程は八年にして、入学年齢は六歳以上とし、授業の際は独逸語及葡萄牙語を用い、別に英仏語を教ゆ。卒業生はハンブルグ商業学校其他独逸の某々学校に無試験入学を許され、又独逸に於て一年志願兵となることを得》と詳述する。
 つまり、ドイツ人のやり方を習って植民すれば、日本民族の特性を失わずに「日本村」が作れるという可能性を見出した。その南部州と聖市やサントスをつなぐ聖州海岸部、しかも港があって国際的な米処がレジストロ地方であるというイメージが、青柳の頭の中には描かれていた。(つづく、深沢正雪記者)

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