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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第126回

ニッケイ新聞 2013年7月30日

「インクは一週間分くらいですかね。それよりも紙の方が問題です」藤沢はまるで他人事のように答えた。「紙は一ヶ月分くらい融通してもらっています」
 児玉は二人の会話を聞きながら、紙、インクをサンパウロ新聞から時々融通してもらい、パウリスタ新聞を発行していることを知った。おそらくサンパウロ新聞社の美津濃社長からは金銭面でも支援を受けているのだろう。
 パウリスタ新聞は倒産寸前で、東京支局など開設する余裕など最初からなかったのだ。安い月給、遅配で新聞記者になりたいなどと考える人材が日系社会にはいなかったのだ。
 パウリスタ新聞を児玉に紹介したのは富士崎康雄というジャーナリストだった。富士崎は移民の取材でブラジルを訪れ、パウリスタ新聞からも情報を提供してもらっていた。すでにサンパウロ新聞は東京に支局を開設していた。中田や前山がパウリスタ新聞も支局を開設したいと言ったのを真に受けて、パウリスタ新聞支局の計画があることを児玉に告げたのだ。
 サンパウロに来てようやく一年が過ぎたばかりだ。このまま日本にもどるわけにもいかない。あと二、三年は腰を落ち着かせるしかない。サンパウロに滞在している間に、日本に原稿を書き送りながら、日系人のアイデンティティについて可能な限り取材しようと改めて思った。パウリスタ新聞を就職先に選んだのも、多民族国家ブラジルで日系人がどのように生きているかを知りたかったからだ。
 児玉はパウリスタ新聞のバックナンバーを読み終え、気がつくとノートには取材してみたいと思う記事がびっしりと記されていた。平日は藤沢工場長から呼び出されるまでの時間を利用して、サンパウロ人文研を訪ねた。日伯文化協会の中に人文研はあり、ここには移民に関する様々な資料が集められていた。ここで資料を読み漁り、新聞社に戻った。
 児玉が集めた資料は膨大なものになり、すべて取材できれば帰国後、移民関係の本が二、三冊は書けるほどのテーマが集まっていた。週末取材は日常化し、平日も一面の再校ゲラを藤沢工場長に渡すと、児玉は帰宅し、原稿用紙に向かった。

 児玉が興味を抱いたテーマの一つに勝ち組、負け組の抗争があった。ノートには臣道連盟、海南島再移住論、帰国詐欺、円売り、ニセ宮様などの文字が記された。
 勝ち組の組織はブラジル全土に生まれ、その最大組織は臣道連盟だった。
 臣道連盟は日本人の集団移住地に呼び掛けて、同志を集めていった。またたく間に会員二万世帯十数万人の巨大組織に成長していた。
「日本の敗戦を信じるようなことがとりもなおさず非国民的態度である」
「どこまでも勝利を信じるのが日本精神である」
 日本が戦争に破れれば、祖国はアメリカの占領下に置かれる。故郷は破壊されてしまったのか、家族は無事なのか。敗戦であれば、移民は帰るべき故郷を失ってしまうことになる。今までの苦労はいったい何のためだったのか。
 移民にとって敗戦は祖国日本の終焉を意味するものであり、それまで自分たちがブラジルの大地に染み込ませてきた汗と涙を水泡に帰すことでもあった。そんなことは絶対に認めたくなかった。
 勝ち組は日本の勝利を信じた人々のことでもあるが、そう信じなければ生きてはいけなかったのだろう。
 勝利を確信した移民は、日本から移民の慰問使節団や軍事使節団がブラジルに入港すると信じるようになった。
 アジアには「八紘一宇」の理想が実現した。日本から移民を迎えに船がやってくる。その船で移民はアジアへ再移住する。戦前の新聞、サンパウロ州新報は廃刊に追い込まれ、最後に主張したのが海南島再移住論だった。南米移住は失敗で、今度こそ日の丸の下で開拓にあたるために、アジアへ再移住しようという主張だった。(つづく)


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