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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(55)

ニッケイ新聞 2013年7月31日

 さらに、席上、各地の認識運動や戦勝派の動きが、出席者から語られているが、危機感を強く表現しているのがバストスで、山中弘は、
「バストスハ何ラカノ方策ヲトラネバ コノ認識運動モ駄目ニナル」
 と実情を明らかにし、後で、もう一度、同趣旨の話を繰り返している。
やはり危機感を伝えているのがツッパンで、岡崎司三が、
「(自分たちと)警察トノ関係ハヨロシイ 斃レルマデヤル 最后ノ覚悟ダ」
 と、激烈な言葉を使用している。
 実は、この二人は数カ月後、襲撃され、山中は重傷を負い、岡崎は死亡する。予感があったのかもしれない。
 なお、山中は、この集会に出席できなかったルセッリアの代表者の「現在七名ヨリ認識者ナク ○○青年会トイフモノガ臣道聯盟ト連絡 ソノ支部ノ如キ態度 同地署長ハ之ニソウジューセラレ、ジュイス、プロモトール等ハ日本人ノ行動ヲ苦々シク見テ居ル 七人ノ人々ハ迫害ヲ恐レブラジルノ法律ノ保護ヲ求メタキ意向」という言葉を伝言している。
 ○○は原文の文字が読み取れぬ部分。署長は警察署長、ジュイス、プロモトールは判事、検事のことである。
 これ以外に、
「信念派ヲ刺激シタクナイカラ穏健策デ行キタイ」
 という地域もあった。ポンペイア、キンターナ、バウルーである。地元マリリアも、それに近かった。いずれも戦勝派の勢力が圧倒的であった所である。
 対してガルサは、すでに認識派が臣道連盟の切崩しに成功しており、同地の代表は、
「(何処の)警察モ頼リニナラヌ…(略)…バストスノ如キ事件ガ更ニ…(略)…起ラン状況ニアル時 各位ガ強力ナル方法ヲトラン事ヲ望ム」
 と、他地域の出席者にハッパをかけている。
 ドアルチーナも、
「六割以上ハ認識ナシオレリ 臣道聯盟ト関係アル人ハ町デハ二名クライ 旧日本人会ヲ復興シテ他ヨリ入ルデマ・ニュースヲ完全ニ拒否シテイル植民地モアリ ドアルチーナノ今日アルハ自然ニアラズ 努力ノ結果デアル 始メニ捨テテオケバ他ノ地域トオナジデアッタロウ」
 と強い語調で、ガルサ同様に他地域の奮起を要求している。
 ただし、当時、ドアルチーナで連盟員だった人から筆者が聴いたところでは、一般の戦勝派の中には、認識派の有力者に営農資金を借りている者が多く、止むを得ず彼らに従った人もかなり居たという。


 藤平正義・森田芳一

 このマリリアでの会合の翌日、3月11日、サンパウロの市内で、山本喜誉司、野村忠三郎、藤平正義ら認識運動の中心人物が森田芳一、石川文夫らを招いて会合、バストスで起きた溝部事件を検討している 。
 森田は、当時、日本人の権益代表国スエーデンのサンパウロ領事館日本人部の仕事をしていた。石川は、サンパウロ産業組合中央会の幹部職員であった。
 席上、二人は、認識運動への協力を求められ、承諾している。内、森田は、後に重要な働きをすることになる。
 森田は藤平と同年輩であった。東京出身で建築技師だったが、ポルトガル語が堪能で公証翻訳人の資格も持っていた。
 会議後、藤平、森田の二人が、軍の高官の紹介を得て、州保安局を訪れた。さらに、保安局傘下のオールデン・ポリチカと接触した。以後、二人は、この特別警察に自由に出入りするようになる。直結したのだ。
 戦時中、オールデン・ポリチカに逮捕された藤平が、今度は、その逮捕した相手と組んだのである。並の人間にはできぬ芸当である。
 森田は「臣道連盟が、日本への帰国を願望する邦人から大金を騙し取っている」と、オールデン・ポリチカの3月16日付けの参考人調書の中で話している。(ただし、これも、後の臣連幹部の起訴には役立っていない)
 森田は「バストスの溝部事件は、臣道連盟によるテロ」と記す溝部の弟からの手紙も提出している。(つづく)



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