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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第128回

ニッケイ新聞 2013年8月1日

 その日も南米銀行関係者の話を聞き、パウリスタ新聞に戻り、藤沢工場長の連絡を待っていた。
「話がある」
 中田編集長が顎でしゃくるようにして、児玉を会議室に読んだ。編集部の隣の部屋には応接室があり、そこが編集部の会議室になった。
「いつも午後になると外で、いろんな人間に会って取材しているようだが、そんな許可を出しこともないし、勝手なことをされても困るんだ」
 頭ごなしの言ってくる中田編集長の言い草に、腹立たしさを覚えて児玉は聞き返した。
「支局を運営するにあたって日系社会の現状を知る必要があるから、私はサンパウロに呼ばれたのではないのですか。会社に迷惑をかけるようなことはしていませんが」
「いずれ君には日本のニュースを東京から送ってもらうことになる。日系社会が必要とする情報がなんなのかを一面の紙面を作りながら学んでくれ」
「それくらいは毎日紙面を作っているのだからわかります。それよりも日系社会の歴史を知る必要があるからいろんな人に会っているんです」
「歴史といっても、君が取材しているのは勝ち組、負け組の抗争だけだろう。君の取材を受けた人間から俺のところに知らせてくる者もいるんだ」
 日系社会というのは、人間関係がヘチマのように入り組んでいるようだ。
「戦後の混乱が、日系社会が大きく変わるターニングポイントだと思うから話を聞いているまでです」
 中田は児玉が日本の雑誌に原稿を発表している事実までは気づいていない様子だ。
「勝ち組、負け組の抗争は治まっているようには見えるが、まだ日系社会の傷は癒えていない。それを日本から来たばかりの君にかき回されては困る」
 中田も語気を荒げた。
「今後、午後いろんなところに取材に行くのは止めてくれ。出るのなら、俺なり、神林デスクの許可を取ってからにすること」
 こういうと中田は自分の席に戻ってしまった。
 児玉は取材を禁じられてしまった。何のためにサンパウロに来たのか、腹立たしい気持ちを抑えることができなかった。
 その夜、児玉は早々と仕事を切り上げて退社した。螺旋階段を下りていくと、取材から戻ってきた安藤美代子とすれ違った。
「お疲れさま。もう帰れるの、いいわね」
 安藤の父親は秋田県の県会議員だった。ブラジルに憧れていた父親に連れられて一家でアマゾンのトメアス移住地に入植した。作家になる夢が忘れられなくて、彼女一人サンパウロに出てきてパウリスタ新聞の社会部の記者をしていた。結婚し、子供も生まれていたが、夫とは数年で離婚していた。
「たまには一緒に飲みませんか」
 安藤の方から誘ってきた。
「では明石屋の隣のバールで先に飲んでいます」
「今日は大したニュースはないから一時間以内に行けると思うわ」
 その声を背中に受けながら児玉はコンデの坂を一気に上った。
 バールでビールを二杯ほど飲んだ頃、安藤が入ってきた。
「早かったですね」
「一段記事を二本書いただけだから」
 児玉はビールを進めた。安藤はうまそうに飲みほすと、コッシッーニャを頼み、ビールを注文した。
「あなた、中田編集長ともめたんですって」
「エッ、もう知っているんですか」
「編集部に入ったら、あなたの話で盛り上がっていたわよ」
「なんて盛り上がっていたんですか」
「日本から無能な記者が入ったって」
「無能ですか」
 児玉は呆れかえった。(つづく)


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