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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第134回

ニッケイ新聞 2013年8月9日

 訪問団は夜行寝台列車に乗せられ、一部屋ずつ与えられた。部屋には金日成の肖像画が飾られていた。
「みんな平壌に着きさえすれば家族と再会できると思って、夜行列車に十八時間近くも揺られてがまんしたが、着いた時には皆ぐったりしていた」
 三日目の午前十時頃に寝台列車は平壌駅のホームに入った。そこでも家族と再会を果たす団員は、誰一人としていなかった。
「帰国する時にわかったんだが、訪問団員の身内で、平壌に住んでいる者は誰もいなかったということさ」
 それから一週間は、檻の中に閉じ込められたようだったという。平壌での滞在先は蒼光山ホテルだった。
 公式行事の連続で、やはり金日成に関係する史跡と労働党関係の施設、朝鮮革命博物館、主体思想塔、千里馬銅像、万景台にある金日成生家などを引きまわされ、それ以外は指導員先生と呼ばれる講師から政治・思想学習を受けなければならなかった。
 しかし、それだけでは当然、訪問団からの不満が爆発する。訪問団を受け入れた労働党スタッフは、訪問先で「再会」のドラマを演出した。
 金日成の生家は平壌から一時間もしないところにある。そこを訪ね、バスから降りると団員に語りかけてくる人がいた。共和国に帰還していた家族だった。偶然に再会したというには、あまりにも異様な光景だったようだ。
 数人のカメラマンが待機していて、偶然の再会を撮影していた。その様子が翌日の労働党機関紙に掲載された。
「すべてが仕組まれていたのさ」
 仁貞は吐き捨てるように言った。
 共和国に滞在している間、日程はその日の朝にならなければ団員には伝えられなかった。
 団員が帰還した家族のところに会いに散り散りに別れたのは、十日目からだった。数人ずつに分かれて、案内員に連れられて蒼光山ホテルをチェックアウトした。仁貞は埼玉県熊谷市で暮らす女性と常に一緒だった。何故、いつも彼女と同室になるのかわからなかったが、十日目にようやく理由が仁貞にも、そして同室の同じくらいの年齢のその女性にも理解できた。
 列車で黄海北道の沙里院に向かった。案内員は二人に付きっきりで、車内では自由に話すことはできなかった。沙里院に着くと、そこでも招待所に連れて行かれた。ようやく再会できるのかと思っていたが、待っていたのは地元の案内員だった。
 埼玉県熊谷市の女性にも別の案内員が待機していた。沙里院から車で別々のところに連れて行かれた。仁貞は見たこともない型の車に乗せられて、着いたところが信川だった。
 案内された場所は集会所のような施設で、宿泊できる部屋も三つほど付いていた。集会所にみすぼらしい格好をした老人と中年の女性が集会所の椅子に座っていた。その二人が夫の寿吉であり、長女の文子だった。部屋には仁貞が総連の新潟支部に送った段ボール五箱も並べられていた。
 相手はすぐに仁貞だとわかったようだが、痩せ細った老人が夫の金寿吉だと仁貞にはわからなかった。十七年前に新潟港で別れたきりとはいえ、あまりの変貌ぶりに仁貞は言葉を失った。身につけている衣服も、横浜の朝鮮人部落で着ていたものよりも粗末だった。ろくな食事をしていないのはその体格と濁った瞳、目じりにこびりついている目ヤニを見ただけでもわかった。
 寿吉は言葉一つ漏らさず男泣きに泣いていた。仁貞もただ呆然と立ちすくむばかりで無言だった。
 文子も三十四歳だというのに、髪の毛は真っ白になっていた。しかし、文子の顔は能面のように無表情だったという。
「こうして家族が無事に再会できるのも、私たちを温かく迎え入れてくれた偉大な金日成主席のおかげです。首領様に心からお礼を捧げたいと思います」
 久しぶりの再会なのに、文子は涙一つ浮かべずに、同じ内容の言葉をくどくどと述べていたという。(つづく)


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