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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(63)

ニッケイ新聞 2013年8月10日

 さらに、この一覧表には、
 「1946年7月15日、ノロエステ線カフェゾポリスで、敗戦派の田村某(未成年)が暗殺され、襲撃者不明」
 という項目もある。
 これなど、筆者は、未だ20歳にもならぬ若者が、けな気にも認識運動に参加、犠牲になった……と読み取った。
 それで感心もし、同情もし、なんとか詳しいことを調べ、記録に残してやりたい──と心がけていたものである。
 その内、サンパウロの文協の移民史料館で、事件のことを記した二つの資料を見つけた。
 一つは、コチア産組が当時発行していた『週報』(1946年8月1日)で「……越えて七月十七日にはカフェゾポリス在田村氏令息十一才が絞殺され……」と記している。
 もう一つは『北西』という題名の謄写版刷りのパンフレットで、1946年7月17日と発行日を記してある。北西とはノロエステの意であり、内容から見て、ノロエステ線地方で発行された小さな情報紙であろう。その記事は文章が乱れているので、要旨を記す。
 「カフェゾポリスの植民地内、田村家の息子(11)は、去る6日、留守番をしており、午後1時頃までは家に居ったが、夜に入っても帰らず、大騒ぎになった。探したところ、便所の前に靴と血痕を発見、中を見ると、後ろ手にしばられ、絞殺され、見るも無惨な姿で投げ込まれていた。犯人不明」
 事件発生日がマチマチであるが、それはさておき、凄惨な内容である。
 しかし、11歳の子供が認識運動をしたり、それが原因で襲撃されたり……というような事はありえない。
 この他、各種の資料も、極力、目を通してみたが(これは良く調べているナ……)と思われるものは一つもなかった。
 こういう調子では、地方で起きた事件も「臣道連盟の特攻隊のテロ」と断定することなど、到底できない。つまり認識派史観とは結びつかない。
 しかるに認識派史観は、地方で起きた事件も殆ど臣道連盟の特攻隊のテロとしている。しかも、サンパウロ市内で起きた事件と同様、裏づけは提示していない。

 そこで、筆者は、そういう各種の資料に掲載されている地方で起きた事件を、一件ずつ自分の足で洗い直しをしてみようとした。しかし数年かけても、部分的にしかできず、手つかずのものも多い。
 その範囲内で書くのであるが「事件は臣道連盟の犯行である」という認識派史観を裏づける確かな材料は、全く発掘できなかった。
 「特攻隊」については、既述の様に、四月一日事件の折に起きた勘違いが世間に広まっていたため、襲撃者の中には、自分自身を「特攻隊」と思い込んでいた人も居たようである。ただ、当の本人には、一人も会えなかったので、確言はできない。
 次の「事件表」は、諸資料に掲載されている地方で起きた事件を、時期を追って並べたものである。(事件発生は全て1946年)

【事件表】

▼3月7日
パウリスタ延長線バストスで、敗戦認識を唱えていた溝部幾太、射殺さる。後に山本悟が自首。
▼4月17日
パウリスタ延長線マリリアで、認識運動推進者の三浦勇、銃撃され重傷。襲撃者は中村秋水。
▼4月17日
パウリスタ延長線マリリアで、認識派の林久道、銃撃され重傷。客一人も被弾して負傷。襲撃者は福間正。
▼4月30日
パウリスタ延長線バストスで、認識派の7人の自宅に小爆発物が届けられる。一部が破裂、数人が軽傷。送り主不明。
▼4月30日
奥ソロカバナ線プレジデンテ・プルデンテで認識派の続木栄吉、狙撃さる。負傷。狙撃者5人逃亡。(つづく)



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