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連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(25)

ニッケイ新聞 2013年10月17日

 宿利は驚いた顔で、
「伝道和尚はとっくに日本へ帰っておられますよ」又、ノートを確認しながら、「一九九〇年には日本で洞山寺(架空の寺)の住職になられて・・・」顔をしかめ、首を捻って「もう他界されておられますね・・・」
 その最後の言葉にジョージは宿利和尚以上に顔をしかめ、
「えっ! 日本で亡くなった?・・・」
「ええ、記録には、一九九二年に没年五十九歳で、となっています」
「・・・」中嶋はショックでしばらく沈黙してから小声で、
「だから、その後、父が、語らなかったのか・・・」
ジョージは立ち上がりながら、
「随分若くして亡くなられたんですね」
「大酒飲みだったので、それがどうも・・・」
「そうだったんですか、それは残念でした・・・。それから、どうして、イデゼンイツさんをデンドウ和尚と呼ぶんですか?」
「奥地の開拓地で、善一和尚の訪問を首長くして待っていた沢山の方々が付けた名です」
「アダ名ですか」
「そうです。まだ奥地にはテレビの電波が届かなかった時代で、やっと電気が届き始めた頃でしたから、善一和尚の伝道訪問は奥地の方々にとって大きな楽しみだったのです。記念誌によれば、彼は紙芝居、人形劇、幻灯とかを車に積んで伝道活動されておられました」
「私も小さい頃、モジ・ダス・クルーゼスの田舎で時々来るカミシバイを見ていましたが、もしかして、彼だったかも知れませんね。では、いろいろ情報をいただき有難うございました」
「又、何か有りましたら、ご遠慮なく」
 ジョージは、放心状態で椅子に座ったままの中嶋を引き立たせ、
「帰ろう! 中嶋さん」

 それから、一時間後、宮城県人会館で、
「西谷さんが言ったように、イデ・ゼンイツさんは日本へ帰っていました」
「そうですね。間借り先の石塚さんの話では、一九八七、八年頃、ローランジア条心寺別院十周年法要をした後、日本に帰国されたそうです」
「紹介します。イデ・ゼンイツさんを訪ねて来たナカジマさんです」
「はじめまして、宮城県人会の副会長をしております西谷です」
 ボーッとしている中嶋の態度を説明するかの様にジョージが、
「お寺の話によると、イデ・ゼンイツさんは日本に帰国して五年後に亡くなっておられました」

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