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故郷消えても途切れぬ絆=ジャクチンガ植民地同窓会=世話人急逝も、遺志受け継ぎ

ニッケイ新聞 2013年10月17日

 サンパウロ州ポンペイア市近郊にあったジャクチンガ植民地出身者の集い『第17回ジャクチンガ交流食事会』が12日、サンパウロ市リベルダーデ区の青森県人会で開かれ、約70人が旧交を温めた。会の発起人で、役員会長として長く世話人を務めた国井靖さんが今年3月に他界。開催も危ぶまれたが、継続を願う関係者の強い願いで今年も開催に至った。新たな代表となった東公生さん(71、二世)は「メンバー全員が、それぞれ会を背負って立つくらいの気概で団結している。国井さんのためにも会を長続きさせたい」との意気込みを語った。新役員として同地生まれの二世、河野マコト、大迫実さんの2人が新たに加入する嬉しい知らせに会員らは喜んだ。

 「よう来たなあ」「毎年本当に元気で」「白髪、増えたんじゃない?」—。午前9時頃、会場に参加者らが集まりだすと、至るところから同郷の友との再会を喜ぶ声が聞こえてきた。
 「皆同じ学校で幼少期を過ごした仲間。消滅した植民地で、これだけ人との繋がりを感じられる会があるところは他にないのでは」。世話人を務めた山矢三郎さん(二世、76)は感慨深げに話す。
 同植民地は1936年に開設。バタタや綿の栽培で栄え、最盛期には90家族以上を数えたが、60年代から都市部への人材の流出が相次ぎ衰退、現在は日系人居住者はおらず、牧場に姿を変えている。
 開設直後に入植し、約20年を過ごした森西茂行さん(92、徳島)は「青年会は農村青年としての意識が高く、月に2回くらいは日本語学校の校舎に泊り込んで勉強会を開いていた。仲間らとともに一晩中議論を交わしたのは良い思い出」と当時を振り返り、「子どもの教育環境が整っていなかったなどの問題もあったが、ジャクチンガが嫌になって出て行った人はいない。それだけ良い植民地だった。だからこそ今でもこういった会が続くのでは」と賑わう会場を見つめた。
 「実際に住んでいたのは幼い時に4、5年ほど。大して記憶も残っていないけれど、父の友人に会えるのが嬉しくて毎年来ている」と相好を崩したのは村本トシ子さん(77、二世)。「毎年一回じゃ少ないくらい。長く続いて欲しい」と願いを込めた。
 昼前に始まった昼食会では、今後の継続開催への思いを参加者らが一体となって確認しあい、ビンゴ大会やカラオケなどで交流を深めた。

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