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連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(65)

ニッケイ新聞 2013年12月18日

「神様なんてとんでもない、熱帯魚漁師の松栄です」
「マツエさんはいつもアマゾンに来られるのですか?」
「毎年一回は必ず。河の水位が下がり、漁がやり易いこの時期に来ます」
「そうですか。アマゾンに生きる方達は沢山の苦労話があるのですが、あの本には苦労話が載っていませんでしたね」
「人間とは面白い生き物で、楽しい思い出ばかりが残り、苦い経験や苦労話は自然に記憶から消えていきます。本を書いて分かったのですが、楽しい思い出はどんどん湧き出てきますが、辛い思い出は出てきまへん。人間は自然にノイローゼにならないメカニズムを備えてますわ」
「長年、生物を観察されているから、そう云うところが見えるのですね。そう言われれば、私もあんな死ぬ思いをしたトメアス時代も、今になると、いい思い出しか残っていませんよ」
「本当に自然は上手く出来ていますね。人間も自然の一部で、子育ての時期は夫婦揃って体力的にも精神的にも強くなりますねん。魚も繁殖期や子育ての時期になると別種と間違うくらい勇敢になり、婚姻色と云って色まで変わりますわ」
「そんなに人変りするのですか?」
「人変わりじゃなくて、魚変わりですわ。ワッハハ。そう言えば、婚姻色で思い出しましたが、婚姻色で有名なニジマスを小池さんと云う方が、サンパウロ市から百数十キロのカンポス・ド・ジョルドン避暑地で養殖に成功されましたよ」
「そう云えばサンパウロの町で見かけますね。輸入物だと思っていました」
「相当苦労された様ですよ」
「松栄さんもでしょう」
「いえいえ、私は家内に苦労させっぱなしですよ。頭が上がりません」
「松栄さんは、家族をサンパウロに置いてアマゾンを自由に飛び廻り、亭主関白だと思っていましたが、そうではないのですか?」
「とんでもありません。丸の内勤めだった家内がカラグァタトゥーバの密林に嫁いで来てくれた丁度その日、前代未聞の大雨にみまわれましてね、家の中で傘さして一夜を過ごさせ、それ以来頭が上がらんのですわ」
「正直言って、酷い事しましたね。奥さん『日本に帰る』と言われたのじゃないですか」
「あの頃、何度かトランクを手に日本に帰ると言って家出しましたが、仏さまでも救う事が出来ないジャングルやさかい、どうしようもなく泣きながら戻って来ました。そのうち、ジャングルに鍛えられ、私より強くなりました」
「むか〜し、アマゾンの新聞に熱帯魚狩りの日本人が町のドブ掃除を始めたと写真入りで出ていたのを見たんです。それでマツエさんを知りました」

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