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リオ五輪で期待の伯国柔道=強化・普及の源流を探る=(3)=講道館や国士舘で修業体験=本物に触れ開眼する伯人選手

ニッケイ新聞 2014年2月7日
五輪、世界選手権で通算5個のメダルを獲得し、2005年からは聖市議として活躍するアウレリオ・ミゲル

五輪、世界選手権で通算5個のメダルを獲得し、2005年からは聖市議として活躍するアウレリオ・ミゲル

岡野脩平、石井千秋、小野寺郁夫が中心となって1967年頃から始まった聖市での強化練習により大きく力を伸ばした選手の筆頭が、ソウル五輪95キロ級金メダリストのアウレリオ・ミゲル(49、現・聖市議)だ。「スペイン移民でボクシングを嗜んでいた父は、サンパウロで出会った柔道の精神に惚れ込んでね。体が弱かった私を鍛えさせるために、サンパウロFCのスポーツクラブの中にあった柔道教室に入れたんだ」と自らの経緯を語る。聖市に生まれ、5歳で柔道を始めた。

その後、自宅近くの篠原正夫道場に移籍し、本格的な稽古を積んだ。素質を見出され、強化練習に参加するようになったのは13歳から。「クラブの練習とは何もかも違った。勝つためにどうすれば良いかを知った指導者と、力強いライバルに囲まれた環境があった」。

強化練習には、日本の講道館から柔道普及のために派遣された日本人指導者も顔を出していた。ミゲルはそこで作った講道館へのパイプにより、毎年のように日本に通い、講道館本部や警視庁などで鍛錬を積み、本物を身体で学んでいった。「石井先生らに出会わなければ、メダル獲得どころか五輪への出場も難しかった」と戦後移民柔道家らの貢献を強調する。

80年代に強化練習に参加したジョゼ・マリオ・トランキリーニ(50)は首都ブラジリア出身だ。柔道との出会いは「新首都を作り上げるのに貢献した日本人が私の周りにもたくさんいて、身近な存在だった。彼らの中には柔道をやる人も多かったから、自分も自然に柔道を始めた」という環境だった。

競技力のさらなる向上を目指して強化練習に参加するため、聖市に単身で移り住んだのが18歳を迎えた1981年だった。「ブラジリアでは藁を編んで作った畳を使っていたが、サンパウロでは本物の畳で練習出来ることに感動した」と当時を振り返る。レジストロなどを中心とする畳産業は聖州にしかなかった。地方と「強化の中心地」との格差を如実に示すエピソードだ。

トランキリーニも国士舘大学の指導者に見出され、滞在費など大学負担で1年間の柔道留学を経験した。1995年のパンアメリカン大会で優勝したりヨーロッパの国際大会で上位に進出するなど、大きく成長した。「サンパウロに出て来て、石井先生たちの指導を受けなければ。日本に行くこともなかった」と感謝の思いは強い。

強化練習は多くの選手にとって、貴重な成長の場として機能した。その参加者の中には、岡野、石井らの意思を受け継ぎ、若者の強化に重点を置いた州を挙げてのプロジェクトを考案した門下生がいた。その1人が、1984年のロス五輪で86キロ級銅メダリストとなったワルテル・カルモーナ(56)である。(つづく、敬称略、酒井大二郎記者)

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