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連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(110)

ニッケイ新聞 2014年3月4日

「私は『吉祥天』を夢見、祈っています」

「キチジョウテン?」

「キッショウテンとも読まれ、元々は古代インド神話のラクシュミーと云う女神です。その姿はとにかく美しく、生まれた時から鬼神達から狙われたそうです。その特徴を受け継いだのが『吉祥天』で、一時、七福神にも加えられた事もある福徳神の一つで、『毘沙門天』の后で慈愛あふれる美しい天女様です。奈良時代から五穀豊穣を祈り、幸福、美、富を司り、争いを鎮め、快楽まで与えてくださる広大な功徳の仏さまで、修行僧の憧れでした。ある修行僧が美しさに魅せられて『このような美しい女とめぐり会えますように』と祈っていると、夢の中で『吉祥天』と出会ったと云う昔話があります」

古川記者が目を丸くして、

「そんなに魅力ある仏さんですか」

「伝説では、翌朝、『吉祥天』像の腰のあたりが汚れていたそうで『天女みずから思いを遂げさせて下さったのだ』と伝えられています。修行僧を惑わす美しい『吉祥天』は、そうやって修行僧の愛欲を断ち切り悟りへの道を開かせたとか・・・」

「へー」

「その他に愛欲煩悩そのものが悟りである、と主張する『愛染明王』(あいぜんみょうおう)と云う仏さまがいます」

「私は『キチジョウテン』の話を聞いて居ても立ってもいられなくなりました。実は、隣のロンドリーナの町に『シロゴハン』と云うナイトクラブがあるから是非行け、と取材部の松木記者から言われました。時間もいい頃だし、取材に行きましょうよ!」

「古川記者は、ナイトクラブまで取材するのですか?」

「ロンドリーナまで二、三十キロですから半時間で行けます。行きましょうよ。もしかしたら『吉祥天』に会えるかも知れません」

「古川さん、それとこれとは違います。勘違いしないでください」

「中嶋さん、そう怒らず。行きましょうよ。それに、夕食もそこで」

「私は・・・、遠慮します」

「若いのに、そんなかたいこと言わないで下さいよ。ジョージから取材経費として資金援助されているし、行きましょう」古川記者は勝手に決めてしまった。

「ナイトクラブの取材なんて、ジョージさんに申し訳ないですよ」

「社会勉強を兼ねた大事な取材です。さー、行きましょう」

二人の僧侶は、古川記者に、強引に車の中に押し込められた。

古川記者の飲酒運転でロンドリーナのナイトクラブ『シロゴハン』に向かった。

第十八章 好意

ロンドリーナの町まではスムーズに走ったが、町に入ってから四回ほどガソリンスタンドで道順を聞き、やっと『シロゴハン』がある通りに入った。

通りは中心街から外れ、倉庫や農機具の修理工場が建ち並び、この時間帯はみな閉まって静かであった。その暗い通りを低速で走っていると、大きな鉄板の扉が少し開き、まぶしい光が漏れた。

「(『シロゴハン』はこっちだ!)」とやせた男が招き入れた。車は密輸団の車の様に周りを気にしながら扉の中に入った。

広い敷地内は、外の暗さとは対照的に明るく、すでに十数台の車が建物の入口に群がるようにとまっていた。

三人は前後しながら入口の階段をかけ上がった。開けっぱなしのドアを通ると、ムットした匂いが三人を包んだ。安っぽい香水の匂いだ。香水と云うよりも車内の臭を紛らわせる代物だ。食事はあきらめた。

バーで水割りを飲んで過ごしている三人は、、五分後にはこの臭いに慣れて気にならなくなった。

アルコールがダメな中嶋和尚はコカコーラのロックを飲んでいた。

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