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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2014年3月21日

 坂本龍馬の時代から日本の人が海を見て思うのは、その遥か先にある異国のことだった。でも移民が海を見て想いを馳せるのは、逆に祖国だった▼県連移民のふるさと巡りに同行取材して、タウバテ市にあるモンテイロ・ロバット資料館を訪れたあと、本橋幹久団長(鳥取県人会長)がこんな話をした。東山研修生として1960年に来伯した折、最初の研修時、東山農場にはコロニアのインテリが入れ替わりに来ては当地事情を講義していったという▼その一人に名著『移民の生活の歴史』を書いた画家の半田知雄がおり、ロバットの名作子供文学「ピカ・パウ・アマレーロ農場」を教材にして、当地の国民性を語った▼その時、半田は「多くの移民が私に注文した絵は、海だった。故郷の印象は人夫々で、それを聞き出して絵にするのは難しい。でも、全員が移民船で海を越えて渡ってきた共通点がある。海の向こうには故郷を感じる。そんな気持ちからか、みなが海の絵を注文した」と説明したという▼不思議なことに半田の代表作と言えば、田舎の教会や街並み、農作業の風景という印象が強いが、実際には海の絵を多数描いていたようだ▼東山研修生の講師にはサンパウロ歴史地理学会員だった佐藤常蔵もおり、小難しいブラジル史講義の合間に、「若い頃に赤間学院で小間使いをし、宿舎の風呂焚きをした。自分の焚いたお湯に、見目麗しき乙女が入っているかと思うとワクワクした」と真面目な顔で語っていたとの逸話も、本橋さんは懐かしそうに思い出した▼一見ありふれた海辺のようでも、移民はその〃光景〃の先に故郷を見ている。日系画家の「郷愁の海」展も一興か。(深)

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