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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=21

 ドゥアルチーナとグラリヤを繋ぐその道路上に沿って電線があったが、個人用には許されていなく、50メートル程しか離れていない電線の下でランプ生活という不合理が罷り通っていた時代だった。
 町の電気のきらめきを眺めながらの生活は確かに辛かったが、何年も電気のない生活を強いられていたせいか、それ程苦でもなく、それより今の住宅の状態、果物が豊富に与えられていた事など、喜びの方が大きかった。
 朝は今までより早く起き、牛乳搾り。今までは話だけに聞いていたが、実際に自分達の生活の一部になっていたとは。ようやく大陸的な生活が出来、夢が叶えられたような喜びだった。野菜や鶏の卵も町の人達までもが買いに来るようになり、母は満ち足りたような満足な笑顔で毎日過ごしていた。今までの不自由な生活に耐えてきた甲斐ありと、兄貴ともども、やっと孝行の真似も出来たのだと喜んだものだった。
 棉も植えたがトレードの棉に比べると7分位の作だったような気がする。土地が旧いので仕方あるまい。これから永年作の考えに集中しようと、僕も交えて話し合うようになった。知らぬ間に18になっていた僕は兄貴の片腕になり、将来の事について模索できる立場になっていたのだ。
 コーヒーの樹は8千本程あった。外人が育てていたゆえ貧弱だった牛も20頭程いるので、堆肥作の為、分水嶺に何年も積もった草叢を、牛に踏ませたら半年分ぐらいの堆肥ができるだろうと推定した。それをコーヒー園に入れようと、即実行に移せる事から手がけることに決め、豚舎の建築もあると、将来への夢は果てしなく広く、若い者の力は我ながら頼もしく今日があり明日があると、ますます希望に燃えた。弟2人は午前中ブラジル語の勉強を始めた。妹は今更と家事のお手伝いで年老いた母を助ける事にした。
 そろそろ棉が開き始めた頃、今まで病気などした事のなかった好明が、急に高熱を出し、空を指しうわ言を言い始めた。家中の者が心配で枕元に集まったがオロオロするばかり。急いで町まで一走りし、たった一人の医者を見つけたが、のんびりしたもので、のろのろと28年型のフォード車で一応来てくれた。容態を見て、早速用意して来ていた青い色の注射をした。そして色々と説明をし始め、ひっきりなしに喋っていたが、こっちはさっぱりわからない。

 が、一言だけ耳に響いた。「マラリア」と云う言葉だった。まさかとは思ったが、おやじが、久留米歩兵48連隊にいた時、古参軍曹が台湾にて駐屯兵としての期間中、マラリヤに罹り、高熱と悪寒に震え、死の苦しみを味わったうえ、大勢の同年兵が異郷で亡くなるのを見て、マラリヤの恐ろしさを知ったとの事。
 強く生き延び、日本に帰って来たが、いまだに時々その高熱と悪寒と震えに悩まされ、マラリヤの恐ろしさは忘れないとの話を思い出し、ぞっとしたらしく、何か心に決することがあったらしい。
 夕方になったら、あれほど心配した好明の病状もあら不思議、好明はケロッとしていた。あの青い注射は「パルダン」と云う、マラリアに対しての特効薬だったそうだ。やれやれと皆一安心したのも束の間。翌日、妹のみゆきから始め、家族中総崩れ、仕事どころではなくなった。
 枕を並べて一しきり苦しみ合い、間合い間に棉を摘み、コーヒーの収穫も終え、楽園は地獄へと一気に落下した。ここにいたら一家全滅だと希望に燃えた土地を離れるしかないと、どこか安全な場所はないのだろうかと捜し始めた。

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