ホーム | 連載 | 2014年 | 大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝 | 大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(2)=謎の仲介者アルキメデス=松原の代理人で元大統領秘書
松原義和さん(故)の妻アダイール祐子さん。壁には舅とヴァルガスの写真が(クイアバ市の自宅で)
松原義和さん(故)の妻アダイール祐子さん。壁には舅とヴァルガスの写真が(クイアバ市の自宅で)

大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(2)=謎の仲介者アルキメデス=松原の代理人で元大統領秘書

 一介の外国人である日本移民が、時の大統領と個人的に親しかったために獲得した「特別の移民枠」。その経緯に関しては謎が多い。
 戦後移民が開始された1953年、戦前戦中の米国による反日プロパガンダ、敗戦、そして終戦直後の勝ち負け抗争による日本移民への嫌悪感ともいえる余韻が、ブラジル社会全体に残っていた。当時の国民感情からすれば日本移民導入再開には強い抵抗があり、たとえ特別な関係のある友人から頼まれたことでも、大統領とはいえ独断でそれに踏み切るには大きなリスクがあったはずだ。
 1947年6月28日付パウリスタ新聞「日本移民どう思う 入れてはいかん! 臣聯事件で愛想尽し」記事中、ルーベンス・デ・アマラル聖州議は、次のような反対論を展開している。《私は大量の日本移民入国に反対であるが、それは人種としてではなくて心理的な理由による。周知のとおり、私は嘗て進歩的で勤勉で技術優秀な日本人農家を熱心に弁護した一人だが、しかし、最近かれらの政治的狂信ぶり(臣聯運動を指す)が聖州において非常に危険であることが明らかにされた。もし日本移民が大量に集団したら州内の異物的存在となって当国にそぐわない思想で行動する恐れがある》。
 そんな状況の中で、大統領との友情をテコに、なかば無理やりに「戦後移住」という矛先をブラジル社会に突っ込んだのが松原だった。
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 松原の三男の妻祐子さんによれば、ヴァルガスと松原をつないだのは、マリリアの松原農場でプロクラドール(代理人)として働いていたアルキメデス・マニャンエス(Arquimedes Manhães)という、移民史上ではほぼ登場してこない謎の人物だ。
 祐子さんは「アルキメデスは元兵士で、〃革命〃で捕まったヴァルガスと親しくしていた」と言う。〃革命〃が起きた年を尋ねると「1939年頃だったかしら」というものの、はっきり覚えていないという。
 「ヴァルガスが捕まった〃革命〃」とは何のことか。当時の革命やクーデターといえば、ヴァルガス革命(1930年)、護憲革命(32年)、独裁政権を樹立したクーデター(37年)か、それとも他の何かか。
 アルキメデスは伯国史上でもさほど有名ではない人物のようだが、「Jornal do Comercio」1989年9月12日付を引用しているサイトでは次のように説明されていた。「リオ出身で後に家族でマリリアに転住。同地で自由同盟(Aliança Liberal)のグループを主導し、32年の護憲革命でも戦った。その後ヴァルガスのシンパとなってリオに移り、秘書となって同氏に尽くした」とある。つまり、アルキメデスがヴァルガスと知り合ったのは護憲革命の後で、秘書まで務めた人物だ。
 順を追って整理するために、まず「アルキメデスはいつ頃から松原農場で働き始めたのか」を聞いた。祐子さんは「松原をヴァルガスに紹介した時、すでにアルキメデスはマリリアに住み、松原農場で働いていた」という。松原はたまたまアルキメデスを雇い、その後、ヴァルガスの友人だと知ったのだろう。それこそが運命的な出会いだった。(田中詩穂記者、深沢正雪記者補足、つづく)

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