ホーム | 日系社会ニュース | 念腹忌に日本より23句も=しめやかに俳句三昧の一日=娯楽なき時代に心癒した=笑み在はす仏陀の掌(うてな)に春の塵(吉田しのぶ)
「今日来られなかった句友達の事を心にとめて下さい」と挨拶をする寿和さん
「今日来られなかった句友達の事を心にとめて下さい」と挨拶をする寿和さん

念腹忌に日本より23句も=しめやかに俳句三昧の一日=娯楽なき時代に心癒した=笑み在はす仏陀の掌(うてな)に春の塵(吉田しのぶ)

 第36回念腹忌、第26回潔子忌、並びに第4回牛童子忌全伯俳句大会(サンパウロ木蔭俳句会主催、朝蔭発行所後援)が19日、サンパウロ市の熟連会館で行われ、南麻州のナビライやドイス・イルモンス、リオ市、サンパウロ州奥地など遠路からも直弟子や孫弟子など計47人が参加し、故人を偲びながら俳句三昧の一日を過ごした。日本の句誌『九年母』(くねんぼ)から初めて23句もの投稿があり、うち4句が特選に選ばれた。

第36回念腹忌の様子

第36回念腹忌の様子


 「今回が最後だと思って来ました」朝9時、娘二人に付き添われて受付にやってきた小林エリーザさん(93歳)は開口一番そういった。木陰、蜂鳥、砂丘などの句会を始め現代俳句の人もが参加し、祭壇には3人の遺影が並び、多数の黄菊の美しい花明りの中に熱帯果実やウィスキー、デコポンも供えられた。
 高浜虚子門下の逸材と言われて「畑打って俳諧国を拓くべし」との餞けの句を貰い、日系社会への写生俳句普及に生涯を捧げた佐藤念腹(1898―1979、新潟)を偲ぶ大会で、妻潔子忌、俳誌『木陰』を継いで『朝蔭』を創刊した実弟牛童子忌も兼ねており、当日はその未亡人寿和さん(二世、バストス)が中央に座った。
 念腹最盛期には弟子2千人以上を数えた。寿和さんは、「部落、部落を行脚されながら俳句を普及した。今みたいに娯楽なかった時代で、戦前はみなが『お金儲けたら日本に帰ろう』と考えていたが、祖国が戦争で負けてそれどころじゃなくなった。日本への望郷で泣く人が多く、その念を癒す唯一の方法が俳句だった。辛抱する、観念する、そんな想いを俳句に込めた」と説明した。
 大会委員長の杉本絃一さんは開会の言葉で、70年前には農家の暗いランプの下で頭を寄せ合ってささやかな句会をしたことを懐かしみ、「当時の直弟子、孫弟子もすでに高齢化し、幾分覇気が乏しくなったが、念腹先生の教えを守り、この広大な国の風景、風物を、命の続く限り皆さんと協力して詠み続けていくつもり」と述べた。
 席題発表、投句、互選、披講され、結果が発表された。兼題の特選10句は「花珈琲日伯結ぶ句の縁」今地千鶴子、「開墾のいにしへ偲び種を蒔く」島崎ずずらん、「コーヒーの花や移民史編む句集」小柴智子、「父母在さずともふるさとの初燕」仁科紀子、「農を継ぐ青い目の孫花珈琲」小原加代、「春眠やエアコン快適二階バス」杉本君枝、「運は天に委ねて農夫種を蒔く」佐古田町子、「棟上の餅祝ぐ里につばめ来る」山口まさを、「日雇いの鍬のリズムや山崩し」伊津野朝民、「父の日や妻も子もなく老いし友」遠藤甲山。寿和選の兼題特選は遠藤甲山、杉本君枝、佐古田町子、小原加代、山口まさを。
 席題互選の成績発表で1位は吉田しのぶ、2位は二見智佐子、3位は笹谷蘭峯、4位は小原加代、5位は香山和栄、6位は湯田南山子、7位は佐藤寿和、8位は富岡絹子、9位は野村康、10位は原はるえだった。(詳細は文芸欄で発表、一部敬称略)
 永田美知子さんは「念腹さんは真面目で優しく、ほめ上手な人だった。アリアンサ移住地が生んだ文化人の一人です」と胸を張った。司会を務めた浜田一穴さんは「昨年の参加70人、残念ながら減った。でも集まった人の大半は念腹先生を直接知らない孫弟子の世代。それでも続いているところが素晴らしい」と頷いた。

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