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パナマを越えて=本間剛夫=40

 私たちはこの三年間の転戦で、南海の島々の、食するに足るものは総て食べつくしてきた。海軍がまだソロモン海域で制圧していた頃には豊富な魚類が食べられた。陸地の植物ではパパイヤ、マンゴー、バナナ、キャボ、砂糖黍、蛋白源では鷹を含む小鳥、かたつむり、山鼠、山猫など。しかし、いかに豊富だからといって魚肉ばかり食べてはいられない。パパイヤやマンゴー、バナナの類も、いかに監視を厳しくしても熟するのが待てず、兵隊たちの口に入ってしまう。鼠や猫は数に限りがある。それは殆ど将校用なのだ。
 この島に転進直後数週間はこれらの熱帯の自然から与えられる食べ物は豊富だったが、瞬く間に欠乏してきた。砂糖黍一本も貴重がられ始めた頃、兵隊たちはバナナが食べられるからには、その木も食べられるという理論を編み出し、その木を伐り倒し、灰汁抜きをしたあと、長時間かけて海水で沸騰して食べることを覚えたのだが、これはてき面に胃をこわした。固い繊維質のために消化せず、殆どの兵が栄養障害の徴候を見せはじめた。薬物の欠乏のために処置がとれず、その徴候が長く尾を引いて現在に至っているのだった。
 野菜の中でキヤボと呼ぶのは、日本にそれがないし、誰も食べたことがなかったので、はじめは食べようとしなかったが、これは中米や南米の原野には豊富にある葵科の植物だ。その実は五角形の莢になり、中には粘疫に包まれた白色の粒が無数にあって、とろろのようにすれば、臭甘はあるが、強壮剤といわれている。私は三浦軍曹にそのことを話し早速試食することにした。海水で煮れば患者食としても悪くはない。莢に短かく繊毛のような毛が生じているために、兵隊たちにはなじめなかったが、私が料理して食べて見せると、これは、いける―と食べるようになった。
 しかし、これも間もなく底をついてしまった。兵隊たちは、これらの食用可能なものをいたわり育てるよりも、現実の空腹に耐えられなかったのだ。バナナの幹を伐り倒さなければ、時が移れば再び実を提供してくれるものを、それが待てないのだった。
 兵隊の中で、食料に恵まれているのは勿論農耕班である。彼らは収穫物を司令部に納める前に十分試食できる。次いで衛生兵である。医務部から割り当てられる僅かな栄養剤、患者食など、員数外のものが出るからだ。それをひそかに蓄積しておいたり、また患者入院のつど、その所属部隊から何らかの貢物が献上されるからだ。三浦軍曹以下、私たち衛生兵が普通科兵よりも幾分でも健康を維持し得るのは、全く三浦軍曹のたくましい悪徳の恩恵によっているからだった。
 もちろん、私は軍曹の特別給養を受けることに疑問を抱かないわけではない。良心が疑問を感じさせないほど麻痺しているのではない。兵種の特権に甘えているのでもない。正しくいうなら、うしろめたさの嗜虐の日々を後へ後へとながして行く生命維持の本能に逆らえないのだ。生へのどろどろとした醜い本能が、その流れの岸から這い上がろうとする良心の足を引きずり込むのだ。
 続いて大尉は明日の使役命令を読み上げた。
一、    踏みならされた道路には雑草を植えつけること。
一、    農耕地の地膚を露出させぬため、作業後は雑草を撒き、潅水を怠らぬこと。
一、    兵の健康を維持するため、起床後三十分の体操を厳守すること。
一、    各病棟は重症患者を除き、布団の乾燥、身のまわりの清潔、整頓を励行すること。適当なる時刻に患者を濠外に引率し、日光浴を行わしめること。最後の項で大尉はクレゾール液撒布ににより濠内の消毒を実施すること。

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