ホーム | 文芸 | 連載小説 | ガウショ物語=シモンエス・ロッペス・ネット著(監修・柴門明子、翻訳サークル・アイリス) | ガウショ物語=(9)=底なし沼のバラ=<1>=美しくも不吉な花のいわれ

ガウショ物語=(9)=底なし沼のバラ=<1>=美しくも不吉な花のいわれ

沼に咲く一輪のバラ

沼に咲く一輪のバラ

 「見えるかね。あそこの下の方、丘陵の右手の方にあるウンブーの木が?」
 そう、あそこが廃屋になってしまったマリアノの屋敷だ。あの寂れた場所に一本の桃の木があって、その実のうまいことといったら、わしはほかで出会ったことがない。今でもマルメロの木がたわわに実を結んでいるが、それはそれでまた、びっくりするほど見事なもんだ。
 さらに三、四丁下(さ)がったところに、岩の割れ目から水が湧き出ていて、すぐ前には数本の椰子の木がある。そこから先は、丈の低いグアバの木がずっと連なっている。
 言い伝えによると、その辺りには大きな深い沼があって、ワニも棲んでいたということだ。
 わしがガキのころから知っているその沼は、すでに水草や雑草で覆われていたが、危険な底なし沼として恐れられていた。ある行商人がその泥沼に落ち込んで、二頭のロバと背に積んだ荷物もろとも姿を消したという話も伝わっている。
 わし自身も一度ならず、やせ牛が青草を求めて歩くうちに沼に落ちて、咽喉(のど)まで泥にはまり込んでいるのを助け出したことがある。
 あそこを無事に横切れるのは、身の軽い鶉(うずら)か、うっかりもののクスコ――小型の赤犬――ぐらいなものさ。
 恐らく、牧草やホテイアオイの根が網目のように絡み合って、溜まった泥や枯葉が少しずつ覆い重なっていき、ついには水はけ口を塞いでしまったのだろう。
 その後も、沼の端っこのほうに水はけ口が作られることはなかった。もし作っていれば、水が流れ出して、この沼が危険な罠になってしまうようなことは起こらなかっただろう……。
 それで、何が言いたいかというと、わしがお前さんに見せたいのはあの泥沼の真っただ中にある、お前さんの思いもよらない代物だ。それは、一本のバラ、年じゅう花をいっぱい咲かせているバラの木なのさ。
 およそ正気な人間なら、だれもあのバラを手折ったりしない。なぜかと言うと、あれを植えたのは死んじまった人間だからだ……、そもそも敬虔なクリスチャンが、あんなバラを身につけるなんて、縁起でもない!……
 ところが、あそこには誰も近づけないというのに、沼はあのバラを護っている。だれかが、ちょっとでも縁から踏み出そうものなら、たちまち沼全体が震え、怒りの呻きをあげて、泡立つ……。
 ある時、牛に荷車を引かせた男たちがやってきて、マリアノの潰れかけた家で一夜を明かした。その男たちが、真夜中ごろ、二つの人影を沼の上に見たという話だ。一人は白い服、もう一人はもっと暗い色の服を着て……そして、一人は深いため息をつきながらすすり泣き、もう一人は声を荒げて罵っていたそうだ……。
 だが、何しろ遠かったのと、恐ろしさでみんな髪の毛が逆立っていたのとで、はっきりした様子を見極めることはできなかった。――犬共も、ただただ遠吠えするばかりで……、その妖しいものを追い立てようとはしなかった。
 以来、その辺りは、不気味な場所として恐れられるようになった。
 それで、何が言いたいかって? それはつまり、これからお前さんに話して聞かせるところだ。
 その辺りの草原は所有者などいないも同然で、境界線もないし、道もないパンパだった。あるのはただ牛どもが水飲み場と牛舎の間を行き来する細道だけだ。
 牛どもは野生化しているとまではいかないものの、烙印を押されていないものがほとんどだった。
 だが暮らしは楽だった。よく肥えた肉はありあまるほどだし、投げ縄でとっ捕まえる仔馬なども、それは見事なやつばかりだ。
 そこへマリアノが現れた。自分はインディオたちから逃れて、北部の山地からやってきたのだと言っていたが、人の噂ではいろいろと取り沙汰された。ある者は女房を天然痘で亡くしたのだといい、別の者は、大きな声では言えないが、何か都合の悪いことがあってそこに居れなくなって逃げてきたのだということだ。
 いずれにしろ、ここへやってきて腰を落着けた、というわけだ。
 その際、この辺の親方でもあるマシャード旅団長に宛てた偉い人からの手紙を携えてきた。それで親方はマリアノをずい分丁重にあつかった。間もなく、親方の許しがあってこの地に住まうことになった。
 マリアノは幌をかけた荷車を牛に引かせ、わずかばかりの大人しい牛と、四頭の月毛の馬を引き連れていた。
 家族はというと、彼のほかに婆さんが二人と女の子が一人、何人かの黒人の牧夫とタナジア母さんと呼ばれる黒人の若い女がいた。

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