樹海

 「誰でも良かったから殺したかった」という無差別殺人が、度々日本で起こる。金目当てという単純明快な当地の犯罪とは対照的で、閉鎖的で現実感を失った、病んだ人格を想像させる。ネット上の擬似的な人間関係ばかりが盛んになり、血の通った本物の人間の繋がりが希薄になった先進国社会ゆえの病理なのだろうか▼ドイツのユング心理学を日本に広め、文化長官や京大教授を務めた故・河合隼雄さんの著書で「日本人は心を使わなくなった」という記述に出会い、なるほどと思った。日本ではスーパーやコンビニで物を買うにも言葉を発する必要がない。親は子供に物を買い与えて愛情を注いだ気になるが、実は心のエネルギーは節約している。面倒だが、実はこの「心を使う」作業にこそ、血の通った人間の〃生命〃があるのだ、そんな趣旨だった▼自分も来伯当初、人との不必要な関わりは避けていた。しかしこちらではバスに乗るにも標識がなくて困るし、パン屋でも「これは何だ、いくらだ」といちいち聞かないと書いてない。何かと人と関わらなくては事が運ばないので、ここでは心の節約はご法度だ。店員やタクシーの運転手と歓談すれば料金の一つもまけてもらえるので、「心を使う」ことはむしろ〃生活の武器〃と心得るようになった▼便利な社会での心の節約に慣れてしまったからか、日本人は惜しみなく心を使うブラジル人を「温かい」と言う。便利さは発展した社会の価値の一つであることは間違いないが、「心を使い忘れる」危険も潜んでいる。日本国内にいながら心の問題に取り組むのも一つだが、繊細で孤立した若者を思い切って国外に出し荒療治も悪くない。(阿)

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