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パナマを越えて=本間剛夫=64

 副官が低く云った。
「敵兵を発見したそうだな、その状況を話せ」
 命令受領のあと三角山村近から渓谷の奥を独自で捜していたことを私は告白した。上司の許可もなく、自由行動をとっていたことについてひどく責められることはないだろうという自信があった。英語のほかにスペイン語とポルトガル語を話すのは、この島で自分以外にはないのだという自信が、私を勇気づけた。
 外国語で話すことで相手に安心感をあたえられるだろうと考えたことをつけ足した。また、どんな懲罰があろうと姿を消した女が負傷している可能性があるとはいえ、確実に生存しており、最悪の場合、たとえ瀕死の状態にあるにしても、それを救助するのが衛生兵の義務であることをこの二人の将校に納得させなければならない。
 しかし真っ向から人道論を振りかざすのは二人の感情を逆撫ですることになる。私は喉まででかかっている言葉を抑えた。その裏で、もし、二人が感情を害して軍律違反者として私が処罰されることになればアンナはどうなるか……という不安も続いて襲った。
 私はアンナを発見するまでの経緯を話した。
「よろしい。女は生命に別条はないのだな」
 腕を組み、黙って聞いていた副官が天井を見つめていたが、その眼を科長に移した。科長はその視線から何を読みとったのだろうか。
「よろしい。帰れ」
 私はほっとした。どうやら罰を喰らう気遣いはなさそうだ。私は張り詰めた緊張が解けるのを感じながら部屋を出た。
 庶務室に顔見知りの二名の下士官と副官の当番兵の他に上等兵がいて、下士官が私を紹介しながら椅子を勧めた。
「兵長は今日から医務室へ配属替えになったそうだな。あの捕虜は我々の手に負えんからな」
 川村と名乗った下士官が抽出しから「ほまれ」を出して勧めた。
 科長が姿を現した。
「兵長、命令受領を済ませたら病棟へ帰れ。今夜、その女を連れて来い。他の部隊と接触せんよう夜分に連れてくるんだ。分ったな」
「……はい」
 どうして夜間に連れて来なければならないのか。なぜ秘密にするのか納得できないまま私は返事した。連日電信隊が捜索に当たっているらしかったが、もし彼らに発見されたら、すぐ全島に知れ渡るはずだ。副官たちは、私個人が発見したことをどう思っているのだろう。暗い予感が走った。〈アンナを救わなければ……〉しかし妙案は突嗟に浮ばない。私はさりげなく科長に言った。
「今日から命令受領は今村上等兵と交替いたしますが…」
「あ、そうか、そうだったな。お前の代わりだな。よろしい」
 科長は第二病棟の新しい命令受領者の任命を失念していたのだ。それは司令部と医務室の秩序が既に崩れかけている証拠だった。些細な人事でもなおざりにされるべきではない。司令部は終戦になってもなお敵襲が続いており、犠牲者を出している現実にどう対応すべきかに困惑しているのだろう。しかし、それと捕虜を秘密裏に連行するということとどんな係わりがあるのか。
 内地との交信は順調なのか。周辺の島々の友軍はことごとく戦死したのか、自決して一人も生存者はないはずだ。帰還の日まで兵隊は何をすればいいのか、果たして帰還できるのか。それはいつなのか。それまで農耕に努めろというのか。粟野中尉だけが頼りだ。

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