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パナマを越えて=本間剛夫=96

 私は昨日はサンファンを見、今日はこちらの移住地が立派だと聞いてきました、と率直に答えた。
「じゃ、うしろの車にお乗んなさい」と老人は馬を止めてくれた。
「わたしたちはアメリカさんのおかげで、ラクな暮らしができるようになりましたです」と満足げに馬に鞭をいれた。
 老人は途中、雑貨店にメリケン嚢を担ぎ込んですぐに出てきた。老人はそれから市街地をひと廻りしてから「今夜はわしのところにお泊りなさい。何のおもてなしもできないが」と馬車を走らせた。
 耕地の周囲をコーヒー樹でめぐらした住居がつづく一角に老人の家があった。家人は畑に出ていて老人が一人だった。私たちは向かい合って卓を囲んだ。
 先ず初めに私は先ほど兵隊三人に逢って訊問されたことを話すと老人は苦笑いしていった。
「軍部はゲリラの噂で神経を尖らせているようです。この国には左翼の政党が五つもあって、ゲリラと結ぶのを懼れているのですよ。何でもキューバのゲバラがこの辺に入ってくるらしいという噂がが広まってますで……」
 やはり、この風評はサンタクルースでも話と同じだった。
「しかし警察庁が何ともいっていないのにですか」
「それがおかしいですな。わたしたちには詳しいことは分らんです。ただ、南米全体についていえることはひと握りの地主が国土の大部分を占めていて、インジオたちは自分の土地をもたず、地主の奴隷の境遇に甘んじている。が、インジオたちはその境遇から抜け出そうとする考えもない。左翼運動家が何とか早く農地を解放すべきなのに、活動を始めると、いつも軍隊に追い払われてしまう」
 老人の話はサンファンの青年と同じだった。
 私が日本で調べて知り得たことは、ボリビアでは既に十五年も前に農地改革を実施したり、文盲のインジオ農民に選挙権を与えたりしているが、その後も農地はそのまま、文盲の投票は原始的な○×方式で、ある群や町では有権者よりも投票数が多かったりしたが裁判は遅々として進まず、結局、次期の選挙まで当選者は何ごともなく椅子にふんぞり返っている。地主階級が政治家の地位に在るうちは到底旧来の改革は望み難いということだった。
 しかし、それ以前、一九四一年には四人の軍人大統領が群衆の手で絞首刑されるという民衆の反動期もあって、米系会社と地主の錫鉱山が国有化されたり、一九五四年には鉱山労働者の民兵と平行して農民兵が創設されたりして政治に影響力をもった時期もあったのだ。
 だから、ゲバラの活動は如何なる難関をも突破してラテンアメリカ諸国を先進国に近かずけなければならない使命なのだと、サンファンと沖縄移住地を訪ねた末の私の胸中は、ゲバラに対する期待だった。

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 ラパスに帰った私はエスタニスラウが書いてくれた女性名を頼りに早速会うことにした。警察庁に電話すると、すぐパウリーナと話すことができた。私は「エスタニスラウの友人でブラジルの小学校で彼を教えたことがあり、トーキョーでも昨年会っている」というとパウリーナは、そのことはもうエスタニスラウから聞いている。昼時間に大使館に訪ねてもいいかという。私は快諾した。

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