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イースター島が日本の島?=チリ・サンティアゴ 吉村維弘央(いくお)

 友人の常川勇久(つねかわ・いさく)さんより、「おい、こんなの興味があるか?」と渡された新聞の切り抜きはコピーの字もぼけかけ、紙の色もすでに赤茶けた古いものだったが、これを一読して吃驚仰天した。
 このコピーは勇久さんのお父さんが生前大事にしまってあった遺品の一つで、書かれていたのは元在チリ公使、大使、在ボリビア大使等を歴任された外務省の中南米通のお一人であった故川崎栄治さんが昭和50年6月30日付の日本経済新聞文化欄に寄稿された「波頭越え親善結ぶ チリの帆船にまつわる日本との隠された歴史」と題するもので、「四本マストでは世界最大」「日本海海戦で武勲をたてる」「イースター島譲渡の話も」と言うサブタイトル付きのものだった。
 新聞の内容は、昭和50年6月27日(1975年)、東京晴見埠頭に接岸、同年7月19日開催予定の沖縄海洋博展覧会に一番乗りで親善寄港予定の当時〃四本マストでは世界最大〃と言う、全長113メートル、排水量3673トン、速力17・5ノットのスペイン建造による、チリ海軍所属の機帆船エスメラルダの紹介から始まる。
 このエスメラルダ(英語ではエメラルド)の先祖で同じ名前の三世号については、司馬遼太郎の名著「坂の上の雲」でその場面を手に取るように描写されていると話は進む。このエスメラルダ三世号が、将に日清戦争勃発直後にチリから譲り受け日本名「和泉」と名前を変えた当時最新鋭だった新式装甲艦で、その後の対ロシア日本海海戦で僚艦信濃丸からの、かの有名な「敵艦見ゆ」と言う第一報を受信、戦闘力の無い信濃丸に代り、危険を冒してバルチック艦隊に全速接近し、その陣形等を旗艦三笠の東郷司令長官のもとに詳細報告した結果、バルチック艦隊の殲滅と日本海軍の大勝利と言う結果につながったという史実の紹介である。
 ここまでなら、小生も知識はあったが、その後書かれている「チリ国政府がイースター島を日本に譲渡してもよい」という外交ルートでの打診があったという説明には、知らない話とは故、歴史のロマンを感じる話だと強い衝撃を感じた。
 イースター島とはサンティアゴから西へほぼ3700キロ、タヒチから東へほぼ4千キロのところにある、モアイ像の立つ島で、ポリネシア三角地帯の東端に位置し、周囲にはほとんど島らしい島は無い絶海の孤島である。この島は現地語(ポリネシア兄先住民の言葉)で〃ラパ・ヌイ〃と呼ばれ、広い大地あるいは大きな端という意味がある。
 島は周囲約60キロ、面積約180平方キロメートル、北海道利尻島とほぼ同じ大きさの島である。
 全文は上記日付の日本経済新聞を探して貰えれば読めるが、このイースター島の話の一部だけ次に転写する。

☆  ☆

イースター島譲渡の話も

イースター島 もう一つ、チリと日本の間の隠された歴史のひとこまを紹介しておこう。
 百年程前のことだが、バルパライソ港の西南二千八百カイリにあるイースター群島(スペイン語ではパスクワ島)がチリ海軍によって占有された。この島の原住民約二千人はむしろ大洋州族に属し、その巨石群像は人類学、考古学上、世界的に珍重されていて、現在では週一回サンチャゴから定期航空便もあり、チリの観光資源ともなっている。
 ところが、昭和十三、四年ごろだったと記憶するが、当時、筆者の上司であった三宅駐チリ公使に対して、チリ国防省筋から、この島を日本政府に譲渡したいという申し入れがあった。もちろん、三宅公使はさっそく本省に伝え、日本海軍はこの島をノドから出るほど欲しがったらしい。しかし日本政府としては、イースター島がオーストラリアに近いこともあって、対英、対米関係を刺激することを恐れ、結局、交渉は正式な話にならないうちに中断された。

☆   ☆

 と言う記事である。
 このような話はここチリに55年過ごす小生が初めて聞く話で、今迄チリ在住の先輩はもとより、古老等からも一度も聞かされた記憶も無く、我々の仲間でもこんな話を知っているのは皆無ではないかと思い、昔チリで一緒に汗を掻き、その後日本に戻っている親友の一人尺田栄三君にこの話を伝えた。
 ところがここでまたまた驚かされたのはこの友人がNIFTY(サイト)で教えてこの話を流したところ、ある一人より、時期は定かではないが日本のさるTV番組でイースター島が取り上げられ、チリ国より日本に売りたいという話があったとかいう説明もあり、この番組に出ていたゲストの方々も一様に驚いていたとコメントがあったとコピーを送ってくれたことだった。
 これはちよっと、調べてみる価値がありそうとウィキペディア等を探してみたら、イースター島がチリ領になったのは1888年、譲渡の話が出たのは1937年で、当時チリは硝石ブームが終焉し、軍艦建造の財源捻出に頭を悩ませた結果、サラ・イ・ゴメス島とともに売却が検討され、アメリカ合衆国、イギリス、日本に打診があったということらしい。
 当時日本政府はこの島を漁業基地として使うという有用性を認めたが、この話を伝えた在チリ三宅哲一郎公使そのものから、アメリカ合衆国との関係に配慮して静観した方が良いと意見が出されたこともあって、当時の日本政府もこの話を見送ったというのが真相らしいと分かった。
 何れにしても、イースター島の移譲についてこんな日チ裏面史があったというのは想像をいやが上にも掻き立てる。
 歴史に「もし!!??」ということがあったらという想像は何もイースター島だけの話ではなく、どこの国の歴史でも想像は広げられるが、それにしても、あのイースター島が日本の領土だったら、第二次世界大戦を挟んでどのようなロマン、苦労が生まれただろうか。
 それにしても、ポリネシア族に近い人種が踊る、フラダンス調のイースターの踊に日本の盆踊が入り込んだらどんな調子のメロディーが生まれ、どんな踊が生まれただろうか。ちょっと見当がつきにくいものを想像するのも変わっていて楽しい。

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