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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(6)=産経新聞も移民史修正問う

産経新聞2014年6月15日付け

産経新聞2014年6月15日付け

 こういう簡単な──小学生でも知っていることも混じっている──基礎的な事実すら間違えていて、歴史研究などできる筈はない。
 しかも、このピンチ・ヒッター氏の記事は誤字、単純な事実の間違い、助詞の誤用、意味不明の文章……が続々と出てくる。筆者は数えてみたが、60カ所を越した処で疲れて止めてしまった。誤植や勘違いによる間違いは──筆者も含めて──誰でも犯すことであるが、公式書物で、僅か19頁の記事に、これは多すぎる。更に重大な点は、この記事、全体として、何を言おうとしているのか、サッパリ判らないことである。つまり内容が無いのだ。この点は致命的である。
 ともかく、こんなひどい原稿を他人の原稿と差替えるという神経は理解に苦しむ。
 日本政府から少なからぬ額の助成を受け、地元からは、それ以上の寄付金を集め、日系社会の百周年記念協会の名で出した公式書物に、こういう原稿が掲載される──などということは、あってはならぬ不祥事である。日系社会の恥である。これは百周年記念協会の責任でもある。
 この差替え事件は、日本にも伝わり、産経新聞から筆者に電話取材があった。それは2014年6月15日付け紙面に「移民史問い直す試み続く」という見出しで掲載された。その記事では、勝ち負け抗争の概略、筆者の通説否定、差替え事件、前出のイマージェンス・ド・ジャポン社の人権問題に関する運動を取り上げている。筆者に関する部分は、次の通りである。
 「戦後移住者のジャーナリスト、外山脩さんは『勝ち組・負け組の抗争事件は、その後の日系社会の中心勢力となった負け組の側から見た歴史が定説となり、その結果、勝ち組の人々は沈黙を強いられてきた』と指摘する。
 外山さんは現状に疑問を抱き、勝ち組の生き残りの証言を記録。2008年の移民100周年を機に、日系社会が編集した公式な移民100年史にも、事件について執筆を依頼された。ところが、国際協力機構(JICA)が1391万円を助成した100年史の編集で、編集委員長を務めた戦後移住者の小説家、醍醐麻沙夫氏は昨年、外山さんの原稿を無断で没にし、自説を述べた自らの原稿に差し替えて出版した。負け組の流れをくむ醍醐氏は取材に対し『外山さんの原稿は、移民史の定説と合わないため没にした』と話した。……」
 定説とは前記した通説のことであるが、それに合わないため……云々にも、開いた口が塞がらなかった。そもそも歴史研究の目的の一つは、新しい事実を発掘、既存の説を修正あるいは補足し、より真実に近づいて行くことにあり、「定説と合わないから没にする」などという言は、歴史研究の目的すら知らぬことを自白していることになる。
 しかも、ピンチ・ヒッター氏が、勝ち負け抗争について、これまで新聞などに書いたモノは、通説=定説=の内容には合っていない。百年史に書いた記事も、そういう部分がポンポン出てくる。
 ちなみにこのピンチ・ヒッター氏の前に編集を担当していた編纂委員長は、委員会の席上、執筆者たちに、「原稿は変わったモノを。例えば、外山さんの勝ち組・負け組抗争の通説批判……」と注文をつけていた。
 ピンチ・ヒッター氏の異常な言動の底にあるものは、自分自身を誇大に評価する性癖、強すぎる自己顕示欲、筆者との紙上論争に敗れた恨み、『百年の水流』の評判に対するやっかみ──であるとの説も耳に入っている。が、筆者は、それ以外に、間歇的に現れ徐々に進行する老人性の病気が、この人に始まっていると観ている。
 なお昨年、日本で朝日新聞のいわゆる《従軍慰安婦報道》が誤報であったことが発覚、国家的な大問題になった。朝日新聞は30年以上に渡ってこの誤報を流し続け、日本の内外で、その内容が定説化し、外国から日本を貶め賠償請求をする道具に使われる処まで、事態を悪化させていた。それを産経新聞や一部の論客たちが徹底的に検証、覆したのである。さらに、これに関連、朝日新聞が池上彰というジャーナリストの原稿をボツにし、猛烈な批判を受けた。結局、朝日新聞は過ちを認め、謝罪した。編集長や社長も引責辞任をした。
 似た様なことが起きるものだが、過ちを認め謝罪し責任をとっただけでも、朝日の方がましである。(つづく)

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