ホーム | 日系社会ニュース | 「日本は開戦に追い込まれた」=本紙主催 目良浩一氏講演会=約200人来場、熱気に包まれ=ポ語版の著書刊行記念も兼ね
講演中の目良氏
講演中の目良氏

「日本は開戦に追い込まれた」=本紙主催 目良浩一氏講演会=約200人来場、熱気に包まれ=ポ語版の著書刊行記念も兼ね

 「東京裁判はやり直しが必要です。その時にはルーズベルトのような人たちも呼び出して、裁判すべきだと思います」―。アメリカで慰安婦像撤去裁判などの活動を行う「歴史の真実を求める世界連合会」の代表、目良浩一氏(81)による講演会『日本の近代史を正しく理解しよう』が12日午後、広島文化センターで行われた。約200人の来場者で満場となった会場は熱気に包まれた。目良さんの著書『マッカーサーの呪いから目覚めよ日本人!』(桜の花出版、2012年)のポルトガル語版『A Verdade sobre a Guerra do Pacifico』(ニッケイ新聞社刊)の刊行を記念したもので、販売も行われた。本書は本紙、日系書店でも販売中(50レアル)。

満員となった会場

満員となった会場

 目良氏は、まず当時の世界情勢から振り返り、なぜ日本が米国との開戦に踏み切らざるを得なかったかを、多くの書籍や米軍の秘密文書から引用し、詳説した。
 日本が物資に困窮したため海外へ進出した過程を説明。29年の世界大恐慌で、世界的に経済が大打撃を受け、アメリカを含む列強諸国が自給自足体制へ移行し、自国および植民地内だけで貿易するようになった。
 輸出入依存国であった日本は大打撃を受け、独自の市場を見つけるために満州進出を開始した。
 米国は列強諸国に比べ進出が遅れており、中国の権限を獲得しようとしていたが、満州に進出していた日本を大きな障害であると考えた。
 39年にドイツがポーランドに侵入して第2次大戦が始まった頃、米国では外国の戦争への参加を嫌う国民感情が蔓延していた。そのため40年の大統領選挙時、ルーズベルトは国民に、外国の戦争に関与しないことを約束。しかし彼は「ただし、米国が攻撃されたときは別である」と、例外条項を追加していたという。
 米国が41年7月に在米日本資産を凍結し、8月には英国、オランダとともに日本への石油の全面輸出停止を実施。これは日本への影響が重大で、残された選択肢は「降伏するか戦うか」であったという。
 そして同年8月、近衛文麿首相がルーズベルト大統領に会談を申し込み、拒否された。目良さんはこの出来事を、「日本の最後の望みが粉砕された」と語った。
 41年11月には、「満州国、インドシナからの完全撤退」などを条件としたハルノートが、日本に通告された。日本は到底承諾できない条件を突きつけられ、誘導される形で、真珠湾攻撃を実行したと述べた。
 「東京裁判で侵略者とされた日本は犠牲者であって、西洋の侵略と戦い45年まで独立を保ったことを誇りとすべき」と結論づけると、会場からは大きな拍手が起こった。
 質疑応答の後に行われたサイン会では、本を購入した参加者が列を作った。「日本人がまず真実を知り、目良先生の運動を広めたらよいと思う」(伊藤昭治さん、56、京都)、「ブラジルでは皆、日本人としての誇りを持ち続け、守ろうとしている。目良先生はそれを正当化して話してくれた(大野正人さん、68、香川)、「正しい日米開戦の理解を、具体的に資料を根拠に教えてもらった」(大山省三さん、78、鹿児島)などの感想が聞かれた。
 目良さんが「北米に比べ、ブラジルの日系人は、伝統的な日本人の良さを持っている。日本の日本人に対して、『日本人はこうあるべきだ』と共に呼びかけていきましょう」と語りかけると、共感した会場から喝采が送られた。
 この講演会はニッケイ新聞社主催、ブラジル日本研究者協会、ブラジル日系協会、ブラジル日本会議、パンアメリカン日系人協会、ブラジル広島文化センターが後援した。
 目良さんが活動する「歴史の真実を求める世界連合会」は、米国グレンデール市の慰安婦撤去運動などへの支援金受け付けている。詳しくは同会HP(https://gahtjp.org/)。


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 午後2時開演だった目良氏講演会。一番乗りだったのは、なんと午前11時半から待っていた女性で、開演前には数十人の列までできていた。ジャカレイやソロカバなど地方からも多くが訪れ、関心の高さをうかがわせた。講演前には満場となり、椅子を増やすほどの盛況ぶり。目良さんによれば、政治問題となっている同地では、講演会の入口でセキュリティーチェックが行われる厳戒態勢だとか。目良氏も当地では終始リラックスした様子で、「アメリカの日系社会にはない反応」と話していた。まさに両側を知る人にしかできないコメントだ。

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