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日伯つなぐ我らの歴史=夢と希望抱いて海越え=コチア青年連絡協議会 会長 前田 進

前田進会長

前田進会長

 コチア青年移住第一陣109名が、大きな夢と希望に燃えて養国ブラジルの大地に一歩を記して60年の歳月が流れた。ここで我々、コチア青年の生い立ちを振り返って見たい。
 コチア産業組合は戦後の労働力不足による組合員農家の生産力減退を防ぐことと、既にサンパウロ市周辺の農業は、略奪原始農業から集約的農法に転換を余儀なくされており、技術的に進んだ農業労働力を要求されていた。
 祖国日本では耕す土地も無く、働く場所のない青年をブラジルに呼び寄せたら日本の農村人口の過密も解消し、農業経済の向上、コチア産業組合の良き後継者と発展、ひいては世界的な食料事情の改善が期待される。
 こうした目的のために、日本の戦後の混乱期にコチア産業組合と全国農業協同組合中央会との業務提携により、コチア青年は誕生した。
 農村の18歳から25歳までの独身青年、これは今昔、類例のない斬新な移住形態の試みの始まりで、日伯双方で注目を浴びた。
 毎年500名ずつ、3カ年で1500名を送り出すと言う、日本の農村に新しい道が拓かれた。
 コチア産業組合では、下元健吉専務の陣頭指揮のもと、1955年3月、移民課を新設、山中弘氏を課長として万全の受け入れ体制がしかれた。
 こうして1955年9月15日、109名の青年がアメリカ丸でサントス港着を皮切りに1958年7月まで第1次だけで16回の募集がなされ、1519名がコチア産業組合員農家に配属された。その後、第2次も3カ年で1500名の申請が承認され、1959年2月3日から単独青年移住だけではなく若夫婦も加えた移住が始まるが、日本の景気の上昇のため、移住希望者が減少、契約期間の1962年2月まで680名と契約人数の半数にも達しなかった。
 それでもコチア産業組合は許可数に達するまで導入を継続する許可を得、1967年1月10日着の最終移住11名が到着し、13年間の52航海で総勢2508名のコチア青年が誕生し、夢と希望に燃えてブラジルの大地に羽ばたいて行ったのであります。
 以来、苦節60年、筆舌に尽し難い幾多の苦難、苦闘の試練を乗り越え、やがて独立し、次第に事業基盤を堅固にして行ったのであります。
 今では立派な後継者も育ち、その大半が家督を継いでおります。
 その後、後継者達も既に中堅層となって農業界は勿論、社会のあらゆる分野で活躍し、ブラジルの国政、社会経済、文化の発展のため貢献していることは、移民の定義(前海外移住事業団設立10周年に成文化された)「個人の自由な意思と責任において、外国へ生活の本拠を移し、個人の開発能力を発揮して可能性に挑み新しい人生を創造しつつ、受け入れ国において善良かつ敬愛される市民、又は住民として適応、発展することをめざす」を乗り越えたと自負するとともに、私共の誇りでもあり大きな喜びであります。
 しかし、一方で雄図半ばにして空しく倒れた不幸な同志がいた事を決して忘れてはなりません。
 この度、コチア青年移住60周年記念式典のキャッチフレーズは、コチア青年ファミリーの祭典として関連行事もコチア青年の集大成、及び次世代継承の意味合いを強く打ち出しました。
 60周年記念誌の発刊に合わせて、コチア青年の足跡で歴史的に重要と思われるものを集大成して、ポ語による記念誌発刊から、本拠地となるであろうコチア青年の広場、これはコチア青年の溜り場となり、親睦、趣味を兼ねた集える施設として建築中であります。
 この中には記念碑及び胸像、慰霊碑、記念樹(60周年記念桜60本を含む)集合場所、茶室、庭園等が付随して居り、行く行くは二世、三世の溜り場となり、二世の会にバトン・タッチ出来ると期待しており、日本文化の普及と伝承に貢献出来ると思います。
 最後に、この60年を皆様とともに乗り越え祝えた事を誇りに思い感謝しております。


今週20日に60周年式典=50周年の感動を再び!


 1955年9月15日、コチア青年109人をのせた「あめりか丸」がサントス港に到着したのを皮切りに、戦後移住者としては最大の集団である2508人が海を越えた。当時18歳から25歳だった〃青年〃らも今では80歳前後となり、今までの総決算といえる式典になりそうだ。
 10年前に行われた50周年式典では連絡協議会の黒木政助元会長が、「パトロンたちは親代わりになって、我々にコチア産組精神や下元イズムを伝えようとしてくれた。コチアの貢献は末代まで不滅です」と熱弁を振るって、会場に感動を呼んだことは記憶に新しい。
 華々しい首都での式典に続き、今週末20日には、いよいよ本番の60周年式典がひかえている。多くの仲間が集って旧交を温め、子孫へ想いを託す機会になりそうだ。

       コチア青年移住60周年記念式典プログラム 
                司会:宍戸 町吏、中根瑞穂

日時:2015年9月20日 午前8時    受付開始
              午前9時30分 慰霊碑移転除幕
              午前10時   記念式典開会
場所:国士舘スポーツセンター

               式次第

Ⅰ-慰霊碑移転除幕

•    慰霊碑移転除幕
•    先亡者追悼法要

Ⅱ-式典

•    開会の挨拶    コチア青年連絡協議会副会長  西尾  雅夫
•    日伯両国歌斉唱             
•    来賓紹介              
•    大会委員長挨拶  コチア青年連絡協議会会長   前田   進
•    来賓祝辞     式典名誉総裁         梅田邦夫大使
            元コチア産業組合代表     下元  慶郎
日本国農林水産大臣(代理)大臣官房国際部参事官  仙台光仁         
            全中JA会長代理       一箭  拓朗 
            JICAブラジル事務所所長  那須  隆一
オイスカインターナショナル副理事長  渡邊 忠                
ブラジル日本文化福祉協会会長  呉屋 春美
サンロッケ市長 
ダニエル・デ・オリベイラ・コスタ            
連邦下院議員         飯星ワルテル
•    祝電メッセージ披露           
•    功労者表彰(5名)            
•    功労者代表謝辞  相談役            新留   静                
•    コチア青年2世代表挨拶             伊勢脇 聖史
10.閉会の挨拶     コチア青年連絡協議会副会長 広瀬  哲洋

Ⅲ-記念祝賀会・記念植樹

•    ケーキカット 
•    記念植樹
•    記念撮影
•    乾 杯              
•    記念祝賀会(昼食)
•    中前隆博在サンパウロ総領事
•    アトラクション
•    自由交流・写真展鑑賞
          


コチア青年移住60周年記念式典実行委員会

   実行委員長  広瀬哲洋
 1)式典委員   前田進、村田重幸、黒木慧、白旗信、広瀬哲洋、西尾雅                 
          夫、伊下碩哉、黒木美佐子、羽鳥慎一、杓田美代子
   ◎式典小委員会
    1-受付    野村愛國、西尾雅夫、杓田美代子、芦川道子、佐藤吉之助、
            前田順子、沖野伊名木、沖野エリーゼ、草島嘉代子 、広瀬  
          あけみ、藤田満州子
    2-駐車場     羽鳥慎一、2世協力者
    3-食事      村田重幸、西川忠雄、肥後英樹
    4-案内状     黒木美佐子、村田重幸
    5-式場     黒木美佐子、西川忠雄、馬場功治、江崎克彦
    6-写真展     杓田美代子、徳吉義男、新留静、瀬尾正弘
    7-宿泊      黒木慧
    8-警備      黒木慧、サンロッケ市警
    9-救急      黒木慧、サンロッケ市役所
    10—慶祝団歓迎宴  永山八郎、高橋一水、山下治、新留静、白旗信 
    11-法要/接待  白旗信、羽鳥慎一
    12-アトラクション 黒木美佐子、伊下碩哉
    13-プログラム      広瀬哲洋、前田進、杓田美代子、村田重幸、
                 新留静、羽鳥慎一、西尾雅夫
    14-褒賞      全執行役員、三好信子、
    15-運送      西尾雅夫、鈴木記久男

 2)財務委員                 前田進、西尾雅夫、樋口香、江崎克彦、全支部長

 3)記念誌編纂委員   鎌谷昭、菅沼東洋司、村田重幸、広瀬哲洋、
             羽鳥慎一、杓田美代子、新留静

 4)桜植樹委員          羽鳥慎一、杓田美代子

 5)実態調査委員         野村愛國、藤井剛三、新留静、鈴木勇二

 6)慰霊碑移転委員    村田重幸、広瀬哲洋、羽鳥慎一、西川忠雄、白旗               
             信、杓田正、杓田真奈美

 7)慶祝議会委員    飯星ワルテル、荒木滋高、前田進、 広瀬哲洋、
             村田重幸、

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