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ニッケイ俳壇 (859)=富重久子 選

   サンパウロ         林 とみ代

心の灯一つ点して春の宵
【「春の宵」といえば日が暮れて間もない、どことなく和やかな明るさの残る感じ。淡い感傷の漂うような若々しい想いのあるものである。
 この句の「心の灯」を点して、という詠み出しから心惹かれた一句である。春宵の明りの中に座りながら、ふと心の中に浮かんだ灯をやさしく点して、過ぎ去った若かりし頃の忘れられない想いを心に描く作者の姿であろうか】

春宵や一献勧む(すすむ)人在らず
【二句目、春宵の寛ぎの中にもふと一献如何?と勧める人も、また共に酌み交わす人もない寂寥たる想いの過(よ)ぎる心のうち。他の句もそれぞれに人生を達観したこの作者らしい佳句であって、巻頭俳句として鑑賞したい心に残る秀句であった】

草餅やいびつなる程味はよし
慾得も無き人生やうららかに
薄紅のしづく宿して桜咲く

   コチア           森川 玲子 

五風十雨待ちて久しき春旱
【「五風十雨」(ごふう・じゅうう)とは、五日に一度風が吹き十日に一度雨が降るということで、それが農作物の上に好都合でありまた天下泰平である事に繋がる、ということ。
 農事に携わる作者の雨を待ちわびる一句。この言葉の通りになれば安心であるが、最近は乾季が中々執念深く続き安心できない。それにしても「五風十雨」という適切な言葉を引用しての、格調高い一句であった】

年取らぬ遺影に供ふ桜餅
【二句目、「年取らぬ遺影」確かにそうであり毎日欠かさず何やかとお供え物で、仏壇は何時も賑やか。遺影に話しかけると昔の儘の会話ができるのは、その面影が昔の若き日のままだからであろう。お供えの「桜餅」が綺麗な色で心に沁みるいい句である】

高原の三角キャベツ陽炎へり
春眠の覚めし半身夢の中
移り来てなじめぬ匂ひアグリオン
※『アグリオン』はポルトガル語でクレソンのこと。

   セザㇼオ・ランジェ     井上 人栄

春風や山なきセラード駆けめぐる
【セラードにはその昔一度旅したが、何時もこの作者の俳句は懐かしい。この句の通り「山なきセラード」であった。春一番から優しい春風までも、何の障害物もないセラードでは、春を謳歌して吹きわたっている。木々を芽吹かせ草花を咲かせ、やさしく春風が太陽に輝き楽しんで吹いている。
 セラードの素晴らしい春の写生俳句である】

つげの櫛もつれもせずに木の葉髪
春風に背なを押されて男坂
大木で背を掻く牛や冬ぬくし

   サンパウロ         広田 ユキ

春愁や書架に逆さの本一つ
【「春愁」とは華やかな春の季節ではあるがその反面に哀愁を感じることがある。深刻なものではなく、そこはかとなく感じる想いである。
 ふと見ると本棚の本が一つ逆さになっていたという一句。おもむろに手に取って元の位置に正しておく作者。穏やかな落ち着いた佳句】

うつりたる夫の欠伸や宵の春
うららかや忘れ上手といふことも
懐かしのメロディ流る春の宵

   ファッチマ・ド・スール   那須 千草

草餅の好まぬ婿と同居して
【「草餅」というのは蓬餅や母子餅などの総称であるが、田舎では何事かあるとよくこの草餅を作り隣近所に配ったものである。
 この句のように、草餅のあの匂いが嫌いな人もいるのであろう。「婿と同居」とは、誰にでもよく遭遇する環境。私も娘婿の好きなものをよく料理したものである。女性の家庭的な珍しい佳句であった】

襟立てて桜前線追ひかけて
自家製のフェジョン叩き春うらら
※『フェジョン』はポルトガル語で豆類の総称

椰子の木にコンゴーインコ春うらら

   サンパウロ         橋  鏡子

春の闇呂律回らぬ男行く
【「春の闇」は真っ暗な闇でなく、月のない、潤んだような優しい薄ら闇を云うが、何処からともなく花の香りでも感じられる闇夜の道。
 この句はそんな優雅な春の闇の中を、「呂律回らぬ」程酔い痴れた男が先を行く、という無粋な出会いの一句。季語の選択のよさと、珍しい内容の相俟った佳句である】

木洩れ日を縄張りにして百千鳥
舌触り粘る鰆の刺身かな
身の程も知らず大願梨の花

   サンパウロ         渋江 安子

春愁や心の隙に入り来し
【「春愁」という哀愁のある季語に込められた一句。誰でもふとこの春の愁いに閉じ込められて気が塞ぎメランコリーになることがある。
 日常は慌しさにまぎれていても、ふと一息ついて我に返った時など、あれもこれもと心にかかる想いに付け込まれて悩み事などが押しかぶさってくる。「心の隙に」とは、偽りのない言葉の選択でしみじみといい句であった】

荒山に摘みし蕨(わらび)の柔らかき
勿忘草いまだ知らねど名に魅(ひ)かれ
樹木の日苗木を売れる人もゐて

   サンパウロ         山本英峯子

春眠にどうにもならぬバスの中
【「春眠」とは本当に快いもの、一晩中よく寝ているのに、お昼の後などついうとうとと眠ってしまう位、気持ちの良いものである。
 ましてやバスに乗ってゆらゆら揺られていると、いつの間にか眠ってついつい隣の人によりかかったりと、どうしょうもないものである。「どうにもならぬ」とは真の事。楽しい佳句】

草餅の緑を褒めてもう一つ
芹茹でて菜食主義にはなりきれず
日の射してすみれ良く咲く窓辺かな

   サンパウロ         伊藤 智恵

水草生ふぬるりと脛(すね)に何か触れ
【「水草生ふ」とは、春になり水が温んでくると池や沼には色々な水草が生えてくる。水中に沈んでいる草、底に根を張って水面に花を咲かすものなど様々で賑やかになる。
 この句、そんな水草の花でも摘もうとしたのか、「ぬるりと脛に」とは良い言葉の選択で春先の水草を詠んで、珍しい佳句であった】

鰆買ひ捨てるものなしあれこれと
姦しと人に似てゐる百千鳥
水足らぬ散り敷くままに梨の花

   ぺ・バレット        安田 渡南

丘の上に牛屯せる野火明り
地を鳴らし大山焼きや焼け進む
春風に駒いななきぬ笛の如
牧柵に牛の背波や風光る

   サン・カルロス       富岡 絹子

うららかや園児らの声はじけ飛ぶ
春うららこの日の為のドレス着て
病床にありて今年は花を見ず
花疲れ君と乗りたる夜行バス

   スザノ           畠山てるえ

見上げれば防犯カメラ春の雷
華やかな婦人服店春の町
久々に庭に潤ひもの芽出づ
遊ぶ子にもうお帰りと蛙鳴く

   サンパウロ         須貝美代香

春愁の瞼濡らして物思ひ
陽炎の吊橋渡り向ふ岸
勿忘草忘れないでと愛しき花
初蕨摘むも楽しき料るにも

   サンパウロ         大原 サチ

春愁や世は儘ならぬこと多し
わすれな草別離思はぬ時に来し
陽炎へる芝生ゴルフの球を打つ
樹木の日記念樹となり桜の木

   サンパウロ         竹田 照子

華やかに咲きて散り行く櫻花
蓬餅好みし亡夫の仏前へ
うららかや老友ちぐはぐの返事して
幼き日拾ひし椰子の実わが庭に

   サンパウロ         平間 浩二

吹く風に枝垂れ桜散り急ぐ
惜しまれて南風逝きし花浄土
搗く程にほのかな香り蓬餅
暮れなずむ済ませしミサの春の空

   サンパウロ         玉田千代美

春宵の闇淡かりし別れかな
蓬餅そっと供へし夫の忌に
すれ違ふ人の香りや春の宵
ふし多き手より豊かな蓬餅
【「ふし多き手」、畑の仕事に携わっている人々は力仕事をするので、手の節々も逞しくなるが、そのような人から「蓬餅」を頂くなんてとても嬉しい。緑豊かな心豊かな蓬餅であろう】

   サンパウロ         鈴木 文子

蓬餅母と摘みしも遠き日々
豪雨禍に戸惑ふ祖国春愁ひ
花冷や熱きほうじ茶和菓子添へ
うららかや思はぬ人と会ふ事に

   サンパウロ         菊池 信子

手作りの香味愛でらるよもぎ餅
春の宵塒に嬉々ともぐる鳥
美しく咲き切って散る花吹雪
丹精に花苗植えてカルモ園

   サンパウロ         佐藤 節子

家の前桜一本植ゑにけり
今年はや植ゑし桜の花咲けり
草餅を家族に作る楽しさよ
風が吹き見事に咲きし桜散る

   サンパウロ         上村 光代

うららかや朝早くより散歩道
枝一本開きし桜上げようか
うららかや歌口ずさむ田舎道
母作る草餅旨し懐かしき

   オルトランジャ       堀 百合子

句に唄に励む余生や夏近し
【「句に唄に」とは嬉しいこと。私もこうしてパソコンを打ちながら疲れると、半時間位俳句は詠まないが、好きな歌を歌ったり音楽を聴いたりして休む。あまり頑張らないでゆっくりと一緒に学びましょう】

遅れ咲くマンガの花の今盛り
ブラジルに生き抜く力畑打てる
畑を打つ傘寿の坂は厳しかり

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