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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第13回=英米領事が尋問に同席

DOPSとして使われていた建物

DOPSとして使われていた建物

 『戦野』68頁には、驚くべき記述があった。《サンパウロの保安課ではアメリカの領事と、英国の領事が相互に出張し、彼らの諜報機関からの情報や調査を基本として、指令を与えたり、在伯、日、独伊人に対するブラジル警察の活動に助力を与えたりして居るので、サンパウロ市の警察下級官吏は、虎の威を被る小狐の如く、英米崇拝に心酔し、為に日独の高位高官の者をも侮辱し、露骨に反感態度を現す小吏があった》。
 戦争中のDOPSの取り調べに、米英の領事が立ち会った。つまり米英外交官が伯国警察に大きな影響力を持っていて、日本移民取り調べをしていたということは、現時点から見れば明白な内政干渉だ。1947年時点で、それを本で発表するなど当時の伯字紙でもないような告発だ。
 これを読んで、バストス移住地の日本移民史料館の創立者、故山中三郎さんに1994年にインタビューした時の、次の言葉を思い出した。
 《1943年6月にサンパウロのDOPSにひっぱられまして半年入っていたわけです。バストスは第五列(スパイ)の巣であるからと。5、6人しかはいれないところに30人もぶち込まれた。寝る場所もない。
 お便所も戸もない。ひどいもんでしたよ。薄暗い、息も詰まるような空間だった。1号室に入れられ、何にも取り調べもない。ただ半年おいといて、もう帰れですよ。
 ただ、デレガードと一緒にアメリカの領事が私を取り調べたことがあった。「お前はブラジルが好きか、嫌いか」「なんの目的でブラジルにきたか」そんな質問しかしない。時間にして10分か、15分ぐらいのものですよ。何にも調べる材料もないんですよ。ただ尋問したという事実を作ろうとした》。
 米英領事の訊問立ち合いの事実は戦時中の収監者の間では当たり前だったが、『戦野』以外で書かれていない。
 『香山六郎回想録』(76年、人文研、刊行委員会)の420~421頁には数少ない戦争中の記録が残されている。
 戦前に聖州新報を出していた香山自身は投獄されなかった。だが、次のような興味深い記述を残している。
 《ブラタクの御大加藤好之氏も皆と同じく(獄舎内の掃除)当番の日が来れば掃除も箒をとってやっていたが、海興(註=海外興業株式会社)の御大宮腰千葉太(元アルゼンチン公使、海興支店長)は当番日の順が来ても自分の部屋の中に偉そうに安居したなり一回も箒を握って室の掃除をやろうという風情はなかった》という興味深い描写をしている。
 ここから分かることは、戦前の主だった日系組織のリーダーが戦争中に根こそぎ検挙されていたことだ。(つづく、深沢正雪記者)

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