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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=(57)

清水家の災難

収穫前の小麦畑から見たアサイ市遠景

収穫前の小麦畑から見たアサイ市遠景

 1943年12月31日、ペローバ区の清水家に災難がふりかった。当時、清水家は使っていたカマラーダに、賃金の代わりに、近くの商店で使えるバーレ(引換え券)を渡していた。が、そのカマラーダの一人が、バーレの金額を10倍に偽造して、商店に持ち込んだ。店主が怪しみ清水家へ知らせた。
 清水家の息子たちが本人を詰問すると、彼は、もう一人の男を連れてきて「金を払え」と要求、ムチを振り回した。清水家の父親が「やってしまえ!」と一声、兄弟三人で二人を押さえ込み、縛ってカミニョンに放り込んで、アサイ分署へ運んだ。ところが、奥から出てきた分署長の母親が二人の内の一人を見て、金切り声を上げた。自分の息子だったのだ。
 分署長は激怒、鉄製のワイヤーで、清水三兄弟を殴り始めた。すさまじい殴り方で、騒ぎに気づいた町の人々が集って来た。その中に弁護士もいて「殺すナ」と制止した。それほどの傷めつけ方で、兄弟の一人は、誰も(これでは、死ぬのではないか)と疑うほど弱っていた。ほかの二人も重傷だった。
 この時、住民の池田源吾が、車でロンドリーナの本署へ急行、事件を知らせ、その署長命令で三兄弟は釈放された。

訳の判らぬ接収騒ぎ

 移住地の邦人の資産が、訳も判らぬまま接収される、あるいは接収されるという噂が流れる……といった類いのことが次々と起きた。(接収機関名については、一部しか、資料類には記されていない)
 当時、邦人は──何処でもそうであったが──皆、自宅に銃を備えていた。これが全て警察によって接収された。それを知ってか、私有地へ不法侵入したり泥棒をしたりする者が増えた。青年団員が自警のため見回ったが、銃がないので棒を持ってやった。
 1942年3月、池田源吾所有のアサイ―ロンドリーナ間の乗合い自動車が接収された。池田はブラ拓の運転手を卒業、この仕事をしていた。
 1943年、ブラ拓から入植者が購入したロッテが、接収されるという噂が流れた。ロッテ代は分割払いになっており、この噂のため、支払う者が激減した。
 1944年、タンボリー区に警官が突如やってきて、邦人二人に立ち退きを命じた。二人の60アルケーレスの土地は第三者に売却され、返却されなかった。パルミタール区では、警官に日本刀を押収されたまま、戻らないということがあった。
 1945年1月、ブラ拓の職員クラブが接収された。同5月、各区の公共資産(前記の小学校用の土地)の内、法的書類が不備の所は接収された。
 接収ではないが、このほか、1942年、降霜があり、移住地のカフェーの95%が被害を受け、以後2、3年の収穫は望みを絶たれた。同年、綿は3割の減収、フェジョンは暴落、加えてガソリンの配給統制で輸送費は暴騰……と、全く弱り目に祟り目だった。

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