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戦中の隠れた功労者・宮腰千葉太

 「最近、輪湖俊午郎さんやドナ・マルガリーダに対する認識が高まってきてとても良いことだと思います。でも宮腰さんこそが戦争中の日本人救済にレールを引いた人。自分は政府関係者だったので表立って動けない。その代わりにドナ・マルガリーダや高橋勝さん(後のブラジル・トヨタ重役)、石原桂造さん(トキワ旅館経営)が動けるように裏から支援したんです」。『黄昏乃稔り』刊行記念会で救済会の吉安園子会長からそう指摘され、なるほどと納得した▼「憩の園」創立時も陰から支え、多目的ホールの名前になっている宮腰千葉太(1892―1972、千葉県)のことだ。同記念会には長男の嫁・宮腰陽子さん(88、東京都)の姿も▼宮腰は東大卒業後、1917年に外務省に入省、アルゼンチン大使館参事官を最後に退官。36年に海外興業株式会社に入り、翌37年1月に海興サンパウロ支店長として赴任した。42年1月、伯国が枢軸国との外交断絶を宣言し、日本国外交官は例外なく7月の交換船で帰国した。元外交官でこの時に残ったのは、元バウルー領事館領事で退官後に移住した多羅間鉄輔、通商局長やメキシコおよび亜国大使を歴任したのちに移住した古谷重綱、そして宮腰だけだ▼戦後移民の受け入れ支援を目的に発足したサンパウロ日伯援護協会(1959年創立)など、今でこそ日系福祉団体は幾つもある。だが、日本移民迫害が最も酷かった戦中戦後、唯一、支援活動をしたのは救済会だけだ。戦中、日本人は敵性国民として行動制限を受け、病人や貧困者に薬剤や金品を渡すだけでも警察からスパイ嫌疑を受ける時代だった。当時のサンパウロ司教ドン・ジョゼ・ガスパール猊下が責任を引き受けてくれたから、泣く子も黙る政治経済警察ですら救済会を認めざるを得なかった▼宮腰が書いた『救済会の沿革』(1968年)にはこうある。《創立当初の事業には、時局関係で、警察抑留者への差入、警察より釈放された人々への宿舎の斡旋・帰宅旅費の支給等であったが、本来の救済事業は、貧困者・疾病者およびその家族の救済、寄辺なき老人の収容・養老院への入院斡旋、孤児・私生子の収容・養育、精神病者の入院斡旋、結核患者の入院斡旋と救済、死者(無縁仏)の埋葬、失業者の就職斡旋ならびに人事相談等である》。ありとあらゆる移民の困難を引き受けて手伝い、42年6月の事業開始以来、25年間に6万1403人を支援した▼54年渡伯の陽子さんは、「宮腰は『自分達が移民を連れてきたのだから、彼らをおいて帰る訳にはいかない』と戦中の交換船を断り、ブラジルに残りました。そんな宮腰に大使は『移民のために使ってくれ』と資金を置いていった。それがあったから戦中に収監された移民にドナ・マルガリーダが差し入れをできたんです」と振り返る。「宮腰は自分の手柄話をしたことがありません。あくまで周りから聞いた話です」と付け足した▼彼は勝ち負け抗争では認識派〃司令官〃を任じたが、不思議なことにパ紙刊行の『在外日本人先駆者傳』(55年)には名前すらない。敢えてまとまった自分の記録を残そうとしなかった人物だ。でも今日の日系社会があるのは、そのような裏方のおかげであることは忘れてはならない。(深)

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