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軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第18回=オリメシャ家の華麗な活躍

オリメシャ家族のフェイスブックに掲載されていた初代オリメシャと思われる写真

オリメシャ家族のフェイスブックに掲載されていた初代オリメシャと思われる写真

 Funarte(国立芸術基金)の機関誌『Programacao Funarte』87年4月号9頁には、多くの外国系サーカス移民の名と共にオリメシャや竹沢をあげ、《結局、世界中からここにアーチストたちは集まり、国内の動的な新正性を作り上げた。その子孫たちは、サーカス団員としてブラジル中に散らばって、子供たちに笑顔を届けている。子孫の多くは演劇、映画、テレビで活躍し、ビビ・フェレイラ、ヴィック・モリテロ、アナ・アリエル、ググー・オリメシャらのように子孫であることを公にして誇っている》と書かれている。
 この「ググー・オリメシャ」はグローボTV局で脚本家をしていたエジソン・ジャルバス・オリメシャのことだ。14年3月6日に無くなった時の訃報によれば、リオ在住、2000年から人気コメディ番組『Zorra total』のユーモア演出最終責任者を任じてきた。
 それ以前には『Os Trapalhoes』(1986―1991年)、『Escolinha do Professor Raimundo』(1991年、1994年)、『Sai de Baixo』(1996年)などのいずれもグローボの看板番組といえる。ユーモア脚本の大御所だった。
 前節で紹介したルイス・オリメシャは、国立サーカス学校を作って文化振興に貢献したことから、09年11月に伯国文化省から文化勲章「紳士級」(3等級目)を授与された。
 同じ時に同章を有名歌手のネイ・マットグロッソが受け取った。最上級「グラン・クルス」は伝説的な有名歌手ハウル・セイシャス、米国で活躍した最初の伯人女優カルメン・ミランダら故人が受章。それぐらいブラジル文化への貢献が大きいと認められた人物だ。
 1985年11月30日付のニューヨークタイムスに、伯国唯一のサーカス学校を創立したルイス(当時43歳)のインタビューが掲載された。
 《オリメシャ・サーカスは1900年に一人の日本移民によって創立され、1963年に採算悪化で幕を閉じた。創立者の子11人全員がサーカスに入ったが、今は孫2人だけが継ぐ》とある。
 《国というものは、歴史や起源、記憶を忘れるべきではない。「ブラジルは未来を見ている」というだけなら、伝統という意味からはそれは恥だ。過ぎ去ったことを嘆いているだけでなく、我々は伝統を継承しなくては》と同記事中で語っている。それは、自らのルーツに関しても感じているのだろうか。
 この記事当時、300のサーカスが国内に存在するが、大半が弱小で才能を発掘して育成することができないために、国立学校の創立を働きかけた。
 ルイス・オリメシャは「四世代目」(マルタ論文65頁)と書かれているが、履歴書を見ると1942年にリオで生まれている。(つづく、深沢正雪記者)

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