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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第4回=風力発電の壮大な無駄に驚き

五十嵐さん、村瀬さん

五十嵐さん、村瀬さん

 イタイプーダムを救った「8人の侍」の一人、千田功さんは、湾岸戦争を機にメンデス・ジュニオール社の仕事を辞め、その後91年頃から日本にデカセギへ行っていた。「5年間は東京都の日野自動車社、残りの5年間は茨城県の旭ファイバーグラスで仕事をやっていた。ブラジルにいる妻とはときどき電話で話すだけ。10年間一度もブラジルに戻らなかった」という。
 63年の渡伯以来、91年のデカセギが初めての帰国だったから30年ぶり近い。記者が「日本を一目見たいとか無かったんですか?」と尋ねると、「別にないね」とあっさり。戦後移住者に散見される「郷愁なき移民」タイプだ。
 横から小山さんも「僕も1995年に35年ぶりに日本に帰ったよ。来て最初の2、3年は帰りたい気持ちもあるけど、そのうち慣れちゃうんだよね」と当たり前のように言う。

巨人が壁のように立ち並ぶさまを思わせる風力発電施設(フォルタレーザ近郊の海岸線)

巨人が壁のように立ち並ぶさまを思わせる風力発電施設(フォルタレーザ近郊の海岸線)

 千田さんは日本から戻って以来、妻の実家があるフォルタレーザで年金生活。一行が午後に観光したモーロ・ブランコに別荘があり、毎週遊びに行っているとか。同地の巨大な風力発電施設について聞くと、「あれは、実は送電設備が完成していなくて、発電はできるが送電できない状態なんだ」と呆れた現状を教えてくれた。
 発電施設は完成しても、環境関連の工事許可が下りず肝心の送電設備が手つかずなのだという。海際の砂漠に吹き抜ける風を電力に変えるすばらしい施設だと一行は口々にほめたたえていたが、その感動が一気に色褪せた。
 千田さんは1200CCの排気量の二輪車ハーレーダビッドソンに乗り、友人らと隊列を組んでツーリングをしたりと悠々自適な生活をしているとか。これもまた、戦後移民の一つの姿だ。
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 翌12日(土)朝、フォルタレーザのホテルの朝食で一緒になった五十嵐美恵子さん(83、新潟県)と話していると、「サンパウロで一緒に住んでいる孫がGOL機のパイロット。今回の帰りもリオからサンパウロまで彼が運転するのよ」と嬉しそうに教えてくれた。
 五十嵐さんの娘は二人とも日本におり、孫の中原デニスさんは親と共に6歳で日本に行き、大学まで卒業。その後、米国に留学し、そこでパイロットになり、ブラジルのGOL社に就職したのだという。「だからブラジルの学校には一つも行っていないの」という不思議な経歴だ。デニスさんの妹も日本の航空会社で客室乗務員をしているという。
 五十嵐さんの両親は1933年3月に渡伯し、彼女は6月に第二アリアンサで生まれて二重国籍になった。「父・五十嵐与多(よだ)は弓場農場の最初の頃、10年間ほど一生懸命に弓場勇さんを手伝ったんですよ」と振りかえった。
 同じテーブルの村瀬昌子さん(88、滋賀県)は「日本庭園が立派だったのが印象的。あれだけの公園を作ってもらえる日本移民が、このフォルタレーザにいたということを知れて良かった。日本人として嬉しい」と誇らしげに語った。
 その日、まさにその日本庭園まで作って顕彰された藤田十作の子孫のシッチオ(農場兼別荘)に、一行は向かう。(つづく、深沢正雪記者)

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