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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(4)

 ある早春の昼下がり。春雨に桜の花も散り、緑の若葉が清々しいある日のことであった。父と母は田んぼ、祖父母は桑畑に蚕の餌である桑の葉を採りに出かけて皆留守である。
 表に自転車の音がした。郵便屋さんの様である。出て見ると、土間に一通の大きな封筒が投げ込んであった。拾い上げて見ると「農業協同組合」からのお知らせの様である。ふと受取人の名を見て太郎は頭をかしげた。普通は戸主の父であるが兄貴の名前である。「はてな、何かしら」と思ったが封筒の中身が解かろうはずはない。何気なく台所のテーブルの上に「ポン」と投げた。
 さぁー、これが始まりで、太郎の一生を左右する運命の一大事となって行く。
 その弾みで、封筒の中身の手紙が見えた。「オヤッ!」。南米移住の文字が見えた。太郎は直感した。兄が海外の話に興味を持っている事は、日頃より知ってはいた。「なーるほど、そう言う事か」と、合点した。ナイフを取りだすと、中ば開いている封筒を「ソロリ、ソロリ」と開いたのであります。
 中から何やらパンフレットらしき物が数枚出てきた。幸い家の中には太郎以外、誰もいない。読んでいた太郎の目が輝き始めた。
 それはそのはず、今が今まで日本の現状に悲観していた太郎に、一類の光明が差したような気になった瞬間であった。
 書類の内容は「ブラジル移民募集要項」であった。太郎は思った。「なるほど、兄は密かに海外移住を目論んでいたのだ」。しかし兄は千年家の跡取り息子である(注=長兄は既に没)。ならば、この俺が行くべきであると、勝手に考えたら、居ても立つてもいられない気になった。手早く読みあさるうち、段々と引き込まれていった。
 ブラジル国には明治時代から戦前にかけて移住された人達で作った「コチア産業組合中央会」があり、組織は巨大化したのだが、戦争によって後続移民が絶えて、今後の展望では後継者がいないことに困難を感じていた。
 逆に日本は、未だ戦後処理で大変、人が溢れている。そこで下元健吉コチア産業組合専務理事の立案で、日本から農村の次男三男を呼び寄せ、ブラジル側の後継者補給を日伯両政府に申請し、「コチア青年移民事業」が発足となった。
 日本の実務窓口は、全国農業協同組合中央会(全中)。国策の一環として、募集から送り出し業務一切を担当。青年移住者の旅費独立資金斡旋まで一切の業務を行った。
 ブラジル受け入れ側は、コチア産業組合が移住受け入れ業務、社会的手続、永住権許可申請などの代理業務を組合移民課で御世話します―とその書類にある。そのように青年達には「至れり、つくせり」の大サービス。お蔭で戦後移民のコチア青年は、物心両面の恩恵を甘受出来る幸運に恵まれた。
 このようにして、コチア青年は「第一次」青年移民枠としては一九五五年から二五〇〇名、第二次から最終回の一九七〇年代まで、花嫁移民も合わせると合計二五〇〇名以上になった。
 それにしても千年太郎は、募集要項に実に一致していた。渡航費は全中が一時立て替えしてくれ、着伯後「五年据え置き」、その後「十年分割払い」の好条件。費用は「身の回りの支度金と当座のお小使い少々」。誠に千年太郎には至れり尽くせりの移民募集であった。
 実家にも自分自身にも負担が軽い、いわば公的事業の様なもので、当時としては破格の条件であった。太郎が有頂天になったのも無理はない。時節であった様である。時に太郎は二十一歳、「万難を排して」とは、彼の事であろう。

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