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ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡=(6)=ヴァルガスに抵抗した反骨の人

パジーリャの伝記『Padilha, quase uma lenda』の表紙

パジーリャの伝記『Padilha, quase uma lenda』の表紙

 それにしても「パジーリャ局長」とは一体何者なのか? 当時のパウリスタ新聞を見ても「パジーリャ局長」としか書いていない。日本移民が敵性国民としてさげすまれていた戦時中から特別に日本人プールに使用許可を出し、勝ち負け抗争の余韻が強い終戦5年目に日章旗掲揚に許可を出すほど、日本移民に肩入れした。そのくせに「パジーリャ氏」としか出てこない謎の人物だ。
 調べてみると、驚くほどの大物が浮かび上がってきた。ブラジルスポーツ界きっての反骨の士「シルビオ・デ・マガリャンエス・パジーリャ(Sylvio de Magalhaes Padillha)」だ。1909年6月にリオ州ニテロイ市で生まれ、2002年8月にサンパウロ市で死んだ。陸軍学校を卒業し、職業軍人として陸上選手になった。戦前の陸上代表選手(主に400メートル障害物走)で、1932年ロス五輪、36年ベルリン五輪に出場したが、メダルはない。
 ESPNサイトの「五輪のB面」特集15年3月24日電子版によれば、彼とヴァルガス大統領との確執は深い。
 1932年ロス五輪は、ブラジル代表選手団にとって最悪の態勢だったからだ。ヴァルガスが軍部を率いてクーデターを起こして政権を握ったのが1930年11月3日。憲法を停止したヴァルガスにサンパウロ州勢が反旗を翻して立ち上がった護憲革命が1932年7月9日~10月2日。
 ロス五輪(1932年7月30日~8月14日)はまさに護憲革命の真っ最中だった。パジーリャはリオで生まれ、フルミネンセ・クラブからロス五輪に送りだされたが、政府は資金難から選手団に交通費すら出せず、船に現物のコーヒー豆を支給し、選手自らに売らせて参加費に当てさせた。そんな状態では戦えないと多くの選手が途中であきらめた。
 その翌年33年、選手として一番脂ののった24歳の時、パジーリャはサンパウロ市のクルベ・エスペリアに移籍し、以後、パウリスタ(サンパウロ州人)になる。つまり、反ヴァルガス急先鋒のサンパウロ州を拠点とする。
 中でも36年大会での武勇伝は半ば伝説化している。メダルにこそ手が届かなかったが、ブラジル人初、陸上選手として決勝に進出した記録を残したときの逸話だ。
 準決勝の直前、準備体操の時に、欧州最速と言われたハンガリー代表ジョゼフ・コヴァクス選手は「俺は欧州王者だ。もう俺は決勝進出も同然だが、サル(macacos)の国から来たヤツとも走ってやる」と言ったという。
 結果コヴァクスは、奮起したパジーリャのすぐ後ろの4位で終わり、決勝進出できなかったという。そんな筋金入りの選手だ。
 ブラジル代表団には32年ロス大会で67人、36年ベルリン大会で94人も派遣したが、メダルは共にゼロという惨憺たる成績。48年ロンドン大会は77人で銅メダル一つ、52年ヘルシンキ大会では108人参加で金一つ銅二つの計三つに比べると、大きな違いだ。
 つまり、政権の不安定な第1期ヴァルガス政権の時代は五輪スポーツ暗黒時代だった。
 そんな時、パジーリャは遊佐正憲が同じ五輪に参加して次々にメダルを獲るのを、さびしく横から見ていた。日本代表男子は、32年ロス大会の水泳全6種目中5種目で金メダルを獲得した。その時代の中心選手が遊佐であり、ベルリン大会と合わせて五輪金2、銀1という世界的に有名なスター選手だった。
 時代の不運に遭遇し、自分はメダルに手が届かなかった。だが後輩選手には叶えてほしいと夢を託した。その一人が、おそらく岡本だった。(つづき、深沢正雪記者)

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