ホーム | 文芸 | 連載小説 | 道のない道=村上尚子 | 道のない道=村上尚子=(24)

道のない道=村上尚子=(24)

 アンタは、あの小さな蟻を食べるのだそうで、蟻の巣を見つけては、鼻を突っ込み、平らげて行くという。蟻の巣といっても、日本のものとは規模が違う。直経一メートルくらいの土が盛り上がっている。それだけでも大きいのに、その下は蟻の大都会だ。ずっと縦横に広く深い。このアンタが、何と二本足で歩くのだそうで、私たちは、咄嗟にこの動物が頭をよぎった。
 又、ミシッ、ミシッ、とすぐ側まで近づいた。妹は、慌てて湯から出て履物をはいた。衣類はわしづかみにしている。私もまた裸、気が動転している私たちは、衣類を身につけるどころではない。その怪物が、ドラム缶の前に姿を現すと思えるような音が、そこでした!
 私たちは申し合わせたように、家へ向かって逃げた。途中、
「お姉さん! 先に行って!」
 そのあぜ道の、端によって私を通そうとする妹……このパニック状態の中で、足の遅い姉を先にして走らせようとする町枝の思いやりは忘れられない。そしてこの坂道を走り始めて間もなく、すぐ後の町枝が、
「ウオーッ!」と、奇声を発した。
「どうした!」
「なんか毛むくじゃらのものが、私の体に触れたあ!」と言う。
「きゃあ!」「きゃあ!」
 走りに走った。二人とも素裸で、二百メートルを息もつかずに走ったのは、生まれて始めてだ。
 家へたどり着いたら、安心して気が抜けた。 
「わあー!」と、子供のように泣いた。泣こうと思ってないのに、体中が泣くのだ。
 父母が、笑いながら出て来た。「どこかその辺の男が……」と思っているらしい。説明しても頭から信じていない風である。

 ある夕暮れ、父は改まった様子で、
「みんな集まれ!」という。
「今から家族会議を開く」
 この丸太小屋のような家にも、一応黒板くらい備えるようにはなっていた。その黒板の前に立った父は、テーブルの席についている皆を見回した。
「こんな所にいたら、次男の卓二は学校も行けず、山ザルになってしまう。ブラジルへ行こうと思うが、皆はどう思うか」
 だれかが何かを言ったら、ねじ伏せる構えが見てとれる。結局、父は家族会議という形をとって、みなにブラジル行きを迫った。私は嬉しかった。後に保明が、「会議ち言いよるけんど、どうせ自分の意見を通すことは、分かっちょる」と言った。
 おそらく父は、ジョンソンの件や、私が起こした騒動で、ブラジル行きの関心が高まったらしい。
 このブラジル行きで何より助かったのは、パラグアイに居た森田さんが、先にブラジルへ渡っていたことだ。この人たちのつてで、イビウーナという所へ行くことになった。サンパウロから七十キロ西南の地である。
 パラグアイからブラジルへ入るのは、当然、密入国ということになる。問題は、すでに多くの日本人家族が、逃げ始めていたことだ。そして半分の者たちは、失敗に終わっているということである。
 ブラジル行きの汽車に乗るには、ポンタポランへ行かねばならない。この町の中央は、どえらい巾の大通りで仕切ってあって、その通りの半分からこちらがパラグアイで、向こう側がブラジルである。この珍しい町では、二種類のお金が行き来している。

image_print