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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(4)=新しい「故郷巡り」始まる

見るからに元気な武内マリエさん

見るからに元気な武内マリエさん

 「ゲートボールが大好き。この間、ゴヤスの大会で1位になったのよ」と元気ハツラツの武内マリエさんに年を聞くと、「92歳」とのこと。驚くほど生命力にあふれている。パラナ州に近いサンパウロ州最西部オーリーニョス生まれの二世だ。当たり前だが、移民108年目だけに、初期移民から生まれた二世はすでに90代だと痛感する。
 「戦前から陸上をやっていた。オーリーニョスのコレジオで100メートル走やって1番になったこともあるわ。それで汽車でサンパウロ市の大会の出場資格を得て、カンポ・チエテ(同クラブ)でやった陸上大会にも出場した」とのこと。戦前の女性陸上選手は少ないだろう。
 亡夫は西本願寺僧侶だった武内此生(しせい)さん。今は100アルケールの大農場主で、息子が主に大豆生産をしているという。

 9月30日午後7時から先亡者慰霊法要が始まり、霊友会の安光ペドロさん(72、二世)の南無妙法蓮華経の読経に信者らが厳かに唱和した。

霊友会によって先没者慰霊法要が行われた

霊友会によって先没者慰霊法要が行われた

 安光さんは奥ソロのプレジデンテ・プルデンテから70キロの山の中で生まれた。「親父が日本語の名前で出生届を出そうとしたら、ダメだと言われた。戦争中(1944年4月)だったので、日本人差別が酷く、山の中の方が安全だと考え、隠れるようにして住んでいた」とのこと。
 1962年に4大集団地の一つ、パラナ州の誇るアサイ移住地へ。66年にウマラマへ移った。すぐに日本人会の手伝いを始め、かつては副会長までしていた。
 会館敷地は5アルケールもあり、野球場3つ、サッカー場2つ、ゲートボール場4つもある。1992年にはJICAの資金で二階建ての立派な学生寮を建設。今も13人が居住する。会館は今年170平米分拡張し、建物全体では約700平米にもなるという。
 交流会では安立会長が「去年はリオから100人が交流にきた。なんでも、皆さんの故郷巡りのコピーをして始めたとか。このような交流会は大歓迎です」と挨拶すると、本橋幹久団長(県連元会長)が故郷巡りの主旨を説明した。
 州を越えた地方日系団体同志の横のつながりを作る、そんな新しい形の「故郷巡り」が始まっているようだ。サンパウロ市文協が常に中心にいる必要はない。県連のツアーに触発されて、地方同士の自主的な絆が深まっている。さらに広がって欲しい素晴らしい取り組みではないか。(つづく、深沢正雪記者)

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