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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(12)

 1958年に同郷会の呼び寄せで渡伯した会田(あいた)さんは、最初の4年間、聖州ピンダモニャンガーバに入り、4年後の1962年にグアイーラに移った。以来、ここに根を張り、農業で生き抜いていた。
 「橋本悟郎さんは飲んでも羽目を外さない人だった。マテ・ラランジャ社から気に入られて、会社の船でブエノスまで行ったと言っていた。そんな経験があるのは彼だけ。彼と学術的な話をするのが本当に楽しみだった。いつも話を聞きに行っていた」と懐かしむ。
 「僕は帰化人。国境から150キロ圏内に住んでいる外国人はだいたい帰化してますよ。軍政時代に外国人は土地や不動産を持てないという法令が出たから」。一見普通の町だが、国境地帯だけに今もある種の緊張感が漂っている。
 一行は10月1日夜、グアイーラ文協会館で交流会に臨んだ。最初に生長の家による先亡者慰霊法要で、順繰りに焼香し、先駆者の苦労に想いを馳せ、遺徳を偲んだ。

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金丸武光さん

金丸武光さん

 グアイーラにも青年隊がいた。金丸武光さん(75、宮崎県、7期)だ。「僕は農家の次男だから、日本にいても面白い事なさそう、だったらブラジルへと思って青年隊に申し込んだ。ウマラマの訓練所に2年、その後パラグアス・パウリスタにいたが、南伯農協中央会に『すごく良い土地がある』と紹介されて、1968年にグアイーラに来た。大豆、トウモロコシを24アルケール作ってきたが、今は借地に出している」とのこと。「ここにはもう一人、青年隊がいるよ。福本博宏、10期だ。元々は3期の吉村光男さんがマテ・ラランジェイラ社に入社して、皆を呼んだんだ。多い時にはこの町に10人ちかくいた」というので驚く。
 故郷巡り参加者の小山徳さん(8期)も「ここは思い出の地だね。研修の最後にボートを自分たちで自製して、訓練所からグアイーラまで下ったんだ。5人で3泊、4泊かかったかな。一日漕いで漕いで、寝る時だけ陸上に上がった」という冒険旅行だ。
 「当時、グアイーラからパラナ川の上流、サンパウロ州プレジデンテ・ピスタシオまで汽船が週2回運行しててね。それに乗って、あっちでソロカバナ線に乗り替えて、サンパウロまで行った」という。なるほど、かつては陸路よりも水路の方が便利な場所だった。

内田隼人さん

内田隼人さん

 現地の内田隼人さん(82、聖州サンシモン生まれ、二世)はサンパウロ州のアララクアラ近くで1934年に生まれ、幼少時に北パラナのアサイに移り、そこで人格形成期の10代を過ごし、1960年頃から生長の家を信仰している関係で日本語が堪能だ。シアノルテを経て63年にグアイーラに。
 「昔はアサイの人ばっかりだったよ。今は日本人自体が少なくなったけど。最初の10年ぐらいは土地が肥沃で、無肥料で何でもとれた。今は施肥しないと取れないという話だね」。
 内田さんは自動車部品店を創業・経営し、現在は息子に任せ、孫もトラック修理業などをする。「僕の様にサンパウロ州からパラナ州へ、という流れに加えて、次の世代はマット・グロッソで大農園やっている人がけっこういるね。あとパラグアイに行く日系人も多い」。移民の人流は一番西の端についても、とどまることを知らない。(つづく、深沢正雪記者)

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