ホーム | 連載 | 2017年 | 《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス | 《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(7)=笠戸丸の頃から日本人がいた町

《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(7)=笠戸丸の頃から日本人がいた町

 サントアントニオ発電所のガイド、マウロさんから「ここには昔から滝があったから、その地形をいかしてダムを作った。滝があったから、昔はここより上には船が上がれなかった。だから、ここから8キロ下流を起点にしてマデイラ・マモレ鉄道(Estrada de Ferro Madeira-Mamore)を作って、滝を陸路で迂回してボリビアまで行けるようにした。鉄道のおかげで、ボリビアで生産されたゴムを太平洋側に運べるようになった」と説明され、なるほどと納得した。

 当時の写真を見ると滝といっても「大きな岩場」のような低いもの。だが、少しでも落差があると船は通れない。

 調べてみると、ポルト・ヴァーリョの標高はたった「85メートル」しかない。アマゾン河口のベレンからここまで1900キロあると以前書いた。東京と台湾ぐらい離れた距離で、落差が85メートル。そんな真っ平な平原なのに、アンデス山脈で大雨が降ると23メートルも水位が上がるわけだ。想像を絶する自然環境だ。

 参加者の乾光衛さん(いぬいみつえい、77、二世)=アチバイア在住=は「マデイラ川の川幅は2・5キロもある。それをせき止めたのも凄いが、落差が14メートルしかないのに、あれだけ発電する技術はもっとすごい」と感心していた。

 及川君雄さん(79、岩手県)=同=も「雄大なマデイラ川を見ながら食べた、脂ののったタンバキの味は最高だった」と昼食を思い出しながら称賛した。

 最高齢85歳で参加した草川一郎さん(二世)も「ダムなんてなかなかみられるもんじゃない。しかもアマゾン河だからね」と喜ぶ。草川さんは出発前夜、パラナ州マリンガ市からバスで聖市バラ・フンダに夜8時過ぎに到着した。そのまま地下鉄でサンジューダス駅まで移動して市内バスでコンゴーニャス空港へ。夜11時から空港内で一睡もせずに、朝5時集合の一行を待ったとか。最高齢だが、その体力は尋常ではない。

     ☆

 翌18日にガイド、マリア・アウシリアドーラさんらに市内を案内してもらった。

 開口一番「マデイラ鉄道なくして、ポルト・ヴェーリョの町はできなかった。この鉄道工事のために50カ国からの労働者が集まってきて、国際的な環境があった。アメリカ人、イタリア人、アラブ人、日本人までいた」と言われて驚いた。

 アマゾン河上流のマラリアの巣窟のような場所で、鉄道建設をする。しかも百年も前だ。1907年から1912年の工事で完成された。

 ペルーに入った日本移民が鉄道工事で儲かるとの噂を聞きつけてアマゾン下りをし、やってきたのだという。なんと笠戸丸の頃からこの町には日本人がいたのだ。思いのほか、日本移民史との関わりは古い。(つづく、深沢正雪記者)

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