ホーム | 日系社会ニュース | 《ブラジル》山口県人会=創立90周年で会館増改築=式典に知事や河村衆議ら約220人=「故郷は山口県であり続ける」

《ブラジル》山口県人会=創立90周年で会館増改築=式典に知事や河村衆議ら約220人=「故郷は山口県であり続ける」

鏡割りの様子

鏡割りの様子

 ブラジル山口県人会(要田武会長)が26日、創立90周年記念式典をサンパウロ市内のホテルで開催した。式典には村岡嗣雅(つぐまさ)知事、河村建夫衆議院議員(日ブラジル会議員連盟幹事長、中南米日系人支援議員連盟会長)、防衛省技官から転身した異色の経歴を持つ日本のプロ演歌歌手・入山アキ子さんを含めた43人の慶祝団が出席。マト・グロッソ・ド・スル州ヴァルゼア・アレグレ市からは17人も駆けつけるなどし、約220人が節目を祝った。

 式典では日本・ブラジル両国歌、山口県民の歌を斉唱した後、先亡者への黙祷を捧げた。要田会長は「県人会発足から幾星霜、漸く90周年を迎える。活動の主体も三~四世、高齢者のほとんどは二世と代替わりするが、我々の故郷は山口県であり続ける」と挨拶を述べた。
 村岡知事は「ブラジルの山口県人の皆さんと共に記念すべき節目を祝えて嬉しい。今回の訪問は県人の力強さを間近で見る機会となった。今後も更に発展してほしい」と期待した。
 続いて、山口県ブラジル親善協会の橋本憲二会長は、式典前日に開催された県人会館竣工式に参加したことに触れ、「今まで募金集めの支援をしてきた会館の実物を、ようやく見られて感慨深い。会の更なる活躍を願う」と語った。
 90周年の節目に間に合わせた念願の「会館整備」。ブラジル国内の寄付のほか、同協会や日本企業など日本から1600万円の寄付があった。道路に面した旧会館を改装し、その裏側に3階建て18室の宿舎を新築した。宿舎入り口には寄付者の名前入りの記念プレートが飾られた。
 河村衆議、山田康夫県連会長らが挨拶を述べ、安倍晋三首相らからの祝電が披露された。
 功労者表彰では県人会副会長の井上ロベルトさん、サンパウロ市フレゲジーア・ド・オー区に住む県人のまとめ役を担ってきた落合亀之さん、パラナ州アサイ支部会計の河内要さんに表彰状と記念品が与えられた。高齢者表彰が152人に贈られ、代表して99歳の鈴木朝子さんが賞状を受け取った。
 鈴木さんは下関市の川棚村(現豊浦町大字川棚)出身。9歳でブラジルに移住し、サンパウロ州クラヴィーニョス市のカンタガロ農場に入った。「朝夜ぶっ通しで働いた人生だった。こんな良いことは生まれて初めて」と表彰に顔を綻ばせた。
 式典後は要田会長と来賓らで鏡割り、会場一体となって乾杯し、昼食会となった。北原民江さんによる琴の演奏や、入山さんの歌謡ショーも行われた。持ち曲のほかに「リンゴの唄」で始まったメドレーでは客席に降り、新曲「知床岬」も披露した。
 初めてブラジルに訪れた多々良孝一さん(山口市、82)は「遠い国だと思っていたが人が温かく身近に感じる」との印象を語った。前場隆司さん(柳井市、70)は「110年前に移民した山口県人の情熱を感じた」と述べた。
 司会を務めた青年部の脇山マリナさん(二世、41)は会場を眺め、「こんなに県人会関係者がいて驚いた。100周年に向けてイベント運営や日語など色々勉強しなきゃ」と意欲を見せた。

 

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 山口県人会の竣工式には慶祝団一行も参加。防府天満宮の鈴木弘明宮司が祝詞を捧げ、長門市大寧寺の岩田啓靖住職が先亡者の御霊を供養、参加者は焼香に並んだ。要田会長は式典で涙ながらに「皆さんのご協力で増築できた。本当にありがとうございました」と感謝を述べた。会館2階の各部屋は山口県の文化を発信する場所にしたいとの意向を示した。宿舎の部屋予約についてすでに多くの連絡が入っているとか。部屋探し中の人は早めに連絡を。
     ◎
 演歌歌手の入山アキ子さん(テイチクレコード)はブラジル初訪問、そして海外での歌謡ショーも初めて。24日にブラジルに到着してすぐにイグアスの滝へ向い、着物で観光して他の観光客と写真撮影を楽しんだとか。10月19日には念願のNHKホールで五木ひろしや氷川きよし、エドアルドらとともに「第17回虹の架け橋まごころ募金コンサート~明日につなげる日本の名曲」に出演する。入山さんの今後の活躍に期待大。
     ◎
 山口県海外移住家族会、中南米日系人支援議員連盟の会長を務めている河村建夫衆議。式典の挨拶で「政治の師でもある故田中龍夫衆議は、海外移住者を応援するために日本海外移住者協会の会長を務めていた。その意思を引き継ぐため私も両団体の活動に励んでいる」と語った。長男の河村健一秘書も来伯に同行させたことに触れ、「日伯の絆を引き継ぐため」と説明。さらに「ブラジルの山口県人会の皆さんもこれから100年、110年と絆を引き継いでいって欲しい」と呼びかけた。田中龍夫氏から続くこの熱い絆があればこそ、会館の増改築は実現した。新しい会館を交流拠点として、母県とのつながりはまだ20、30年と続きそうだ。

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