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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(74)

 同氏は、「十七八節」にはいくつもの解釈があるが、阿弥陀如来四十八願の十七願・十八願に由来して、人生の臨終に当たっての来迎を待ちわびる悟りの歌、と捉えて開拓先亡者追悼に適している、と推奨したのである。

 こうして献楽の儀式に想応しい古典音楽を選定して頂いたのであった。

 そこで野村流音楽協会ブラジル支部と同古典音楽保存会ブラジル支部から数名、それに琴も含めて献楽の儀の演奏研修を重ね、更に献茶、献花の儀は母県慶祝団一行のぶくぶく茶道の田中千恵子、武籐初枝教師の誠意奉献で厳粛な法要を営む準備を整えることができたのである。

 開拓先亡者慰霊法要(仏式)プログラム既に述べたように、沖縄県人会ではこれまで周年祝典行事を開催する度ごとに母県から知事や議長をお迎えしてきたが、先駆移民の霊を慰める慰霊法要は、80周年祭典が初めてであった。

 こうして80周年を迎える喜びと記念事業のもようを先人の霊に報告し、これまでの労苦をねぎらい、報恩の念を捧げる意味で、照屋弘氏が法要委員長を勤め、次山一道師により記念式典前日に慰霊法要が厳修された。

移民80周年

県人会創立50周年記念式典

 期日:1988年9月17日(土)午前9時30分
 場所:在伯沖縄県人会館大サロン

 1958年6月ブラジル日本移民50周年祭典がイビラプェラ工業館で開催された。

 初めて沖縄県民を代表して当間重剛主席が来伯し、時下に県人移民たちと接し労をねぎらってくれた。

 そして笠戸丸県人移民325名の移住生存者57名に直接表彰状と記念品が贈呈された。
 それから10年後の1968年6月には、60周年祭典においては、日本政府は、いわゆる還暦の年として健在者に勲章(勲六等瑞宝章)授与し永年の労を称えた。
 その時の笠戸丸県人は17名だった。

 日本移民の原点となる笠戸丸移民は、ブラジル移民の道を開いてきた勇敢な開拓先駆者で後続移民の指導育成と子弟教育に誠心誠意努力されたその功績は絶大で深く感謝しなければならないと思う。

 しかし日本政府外務省は、わが県人移民を「不良移民」と蔑視・差別し、回にわたる移民禁止・制限措置を強行したのであった。

 これにたいし笠戸丸の先人をはじめとする初期移民たちは、全伯から29名の代表が参集して、熱誠溢れる討論の末に、1926年8月22日に球陽協会、いわゆる戦前の沖縄県人会を設立し、その全面撤廃運動を展開した。

 そしてこの禁止・制限措置の撤廃を実現し、後続の県人移民導入を成し遂げたのである。

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