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県連故郷巡り=ブラジル/ポルトガル/日本=不思議な〃三角関係〃=第18回=「望郷の詩」と「椰子の実」

アントニオ・ゴンサルベス・ジアス(1855年頃、Public domain, via Wikimedia Commons)

アントニオ・ゴンサルベス・ジアス(1855年頃、Public domain, via Wikimedia Commons)

 ブラジル帝国では「ペドロ1世」だが、彼は本国の王位継承者でもあり続け、ポルトガルでは「ペドロ4世」と呼ばれている。父ジョアン6世が亡くなったあと、ペドロの弟ミゲルが王位を勝手に名乗ったのが原因で暴動まで起きた。そのため、ペドロ1世は1831年にブラジル皇帝位を退き、長男ペドロ・デ・アルカンタラ(ドン・ペドロ2世)に譲位した。
 ペドロはポルトガル本国に帰還、「4世」として弟ミゲルと「骨肉の争い」である内戦を戦いぬき、王位を力で勝ち取った。ミゲルは亡命に追い込まれたが、ペドロも1834年に病死した。
 ガイドのミライさんにも、この大学で学んだブラジル人を挙げてもらうと、真っ先にペレイラ・コウチンニョ(D. Francisco de Lemos de Faria、1735~1822年)が出てきた。リオ出身でコインブラ大学法学部を卒業して研究を続け、同学長にまで任命され、大学改革に尽力した人物だ。
 ミライさんからは、他にもロマン派詩人アントニオ・ゴンサルベス・ジアス(1823~1864年、マラニョン州)の名前が出たの聞き、アッと思った。
 彼の代表作「Cancao do Exilio」は、古野(ふるの)菊生(きくお)氏の名訳で「望郷の詩(うた)」として日本移民の間では知られている。「わがふるさとに椰子ありてサビアひた鳴くその蔭に」という冒頭の名調子で知られる詩だ。
 実は読んでいくと、第3節には《ふるさとにのみ あまたなる/妙なるものの ここになし/夕べさみしく 偲び寄る/幸多かりし かの国よ/我がふるさとに 椰子ありて》とサウダーデ(望郷の想い)を漂わす。
 最後の4節はさらに物悲しい。《サビアひた啼く その蔭に/な召しそ 神よ わが魂を/ふるさとに わが帰るなく/この国に見む すべきもなき/美しきもの 得えもせで/サビアひた啼く かの椰子に/また逢うことも あらずして》
 調べてみると、この詩はまさに1843年にジアスがコインブラ大学法学部に留学中に作ったものだった。ブラジルが独立宣言をし、宗主国とは険悪な状態になっていた時期だ。故郷を離れたブラジル人がサウダーデを込めた詩だ。冬の寒いコインブラで、熱帯マラニョン州の海岸の椰子を懐かしく思い浮かべながら書いたのだろう。
 どこか島崎藤村の詩「椰子の実」に似ている。《実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂/海の日の沈むを見れば/激(たぎ)り落つ異郷の涙/思いやる八重の汐々 いずれの日にか故国(くに)に帰らん》
 島崎の詩は、遠く南国から流れ着いた椰子の実に、故郷を離れた自分の身を重ねて「いつの日か故郷に帰らん」と望郷の想いを歌っており、類似性を感じる。
 日本移民の琴線に訴えるものがあるのは、当然かもしれない。

高松夫妻

高松夫妻

 夫の車椅子を押しながら移動する参加者の高松玖枝さん(ひさえ、74、香川県)はポルトガルの感想を聞くと、「道路から歩道へ傾斜がついていて、優しい国民性を感じる。植民地が一杯ある国は、強欲な人たちだと思っていたけど、実際に来てみると信じられない感じがする」という独特の見方をした。(つづく、深沢正雪記者)

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